メンバーはいわゆる「アメリカン・クァルテット」である。 アメリカンクァルテットは主にImpluseというレーベルから アルバムを出していたが,このアルバムはECMから出ている。 アメリカンクァルテットでECMから出ているのは,これとEye of The Heartというライブ盤の二枚である。 おそらくImpluseでの契約が終了したのであろう。 キースは気の許せるECMで自分のバンドを録音することにした。 しかし皮肉なことにこのアルバムが出るとき既にアメリカンクァルテットは 解散することが決まっていた。したがって初のECMからのアルバムは ラストアルバムとなってしまったのである。
しかしこのアルバムを聴いてわかるであろう。まさに絶頂と 言えるような出来なのである。アメリカンクァルテットの 代表作といえばDeath and the Flowerが良く挙げられるが,このアルバムはそれに匹敵する, いやある部分ではそれを越えるような完成度がある。
タイトルからわかるようにアルバム全体を通して組曲の様に 連続で演奏される。前半はパーカッションと笛から静かに ミステリアスに始まる。そしてキースとデューイのサックスデュオで 祈りのようなテーマを吹きはじめるパーカッションとベースが 淡々と雰囲気をつくっている。そしてキースはピアノに持ち替え 曲は徐々に10分位でようやく展開を見せる。サックスソロの後, ピアノ単独での演奏に入り,静かなインタールード,そこから 次のテーマに入り再び楽器が入ってくる。出だしが民族音楽的な 祈りだったのに対し,ここでは西洋的な祈りのメロディーを奏でる。
LPの時代にとられた曲なので,一旦曲は終わり後半が始まる。 後半はいきなり大音量でのサックスのソロ。フリー的な リズムとソロになる。そしてドラムソロからラテン的な リズムになり美しいピアノのソロ。 前半に比べ比較的明るくポップな印象をする後半。 そして最後に後半の最初に出てきたフリー的なテーマを 演奏し,大きく盛り上がりドラマチィックに曲は終焉を向かえる。
タイトルからピンと来た人もいるかも知れないが,そう まるジョン・コルトレーンの「至上の愛」的なコンセプトを 感じさせるアルバムである。デューイのぶっきらぼうな 音色のサックスもコルトレーンを髣髴させる。しかし このアルバムはそのコンセプトを更に発展させてるといえる。
まさにこのアルバムが出たときにアメリカンクァルテットは 絶頂だったといえるのである。「絶頂なので解散する」という 事を当時キースが言ったという噂があったが,実はそうでは ないと思われる。実際にキースはデューイはあまりうまく行って 無かったとの話がある。この件はいずれEye of the Heartの レビューで書こうと思うが,キースはこのバンドを率いていく 事に消耗してしまい解散したというのが実際のところらしい。 しかし,だからこそアメリカンクァルテットにはキース自身が 身を削ってつくったような迫力があり,そのちりギワの 燃え上がるような美しさと迫力がここのアルバムにはある。
リスナーとして勝手なことを言えば,実に勿体無い気がする。 このあとキースはヨーロピアンクァルテット,オーケストラ等と いくつかの試みをした後, 「気心の知れたメンバーと,心の歌を演奏する」というコンセプトで スタンダーズをはじめる。ある意味,身を削り苦しい思いをし 新しい曲を書き続けたキースの最後のアルバムといえるのである (ヨーロピアンクァルテットも作曲はしているが苦労はアメリカン クァルテットの方が大きかったらしい)。
組曲として完成されたトータルアルバム。 燃え尽きる前の偉大な輝きを聴くことができます。