もどる今回は極めてパーソナルな話です。ご容赦を。
進路とか仕事とかいうものが,果たして自分の意思で選べていたのか?, という問題は意外にわかりにくいとおもいます。希望というのはその都度状況に 応じて微妙に無意識に変わっていたりするからです。
この就職難のご時世,こういうことを言えるのもずいぶん恵まれているのは わかってますが,私は今の職種というのは,自分の意思で選べたと 思ってます。現在私は音を使った技術を研究・開発するという 仕事をやってますが,それはずっとやりたくて選んだ仕事と言えます。
といっても,物心ついたころからこの職業につきたかったわけでは ありません。なんとなく変遷を書きたくなったので(^^;),書きます。
小学校に入る前に自分が何の職業につきたかったのかは覚えてません。 子供は親の質問に応じてなにかしら答えているように思います(…ところで, なぜ大人は子供に「将来何になりたい?」と質問するのでしょう?…)。 私の場合,覚えているので一番古いのは小学生4,5年辺りで, 「天文学者」になりたいと言ったことでしょう。とはいっても別に 理科が得意だったというわけじゃなく,当時SF(まぁヤマトとか)漫画とかを 読んで宇宙の神秘にひかれていたからでしょう。星座を覚えるのとかも 好きでしたし。今の学者指向が当時の影響なのかはわかりませんが(^^;)…。 …でも結構昔から「○○博士になりたい」とか言ってた気はします。 親がそういう育て方をしたのかなぁ…。だとすると知識や思ったことを 表現したがるっていう性格は幼少の頃から出来ていたのかも知れません。
ちょっと仕事からはそれますが,小学から中学に上がる辺りで ラジコンに凝ってる時期があって,当時は一生の趣味にしようと 思ってたりもしました。音楽を趣味として意識し出したのは, 中学1年の時,同級生がアリスの曲を弾き語りしているのを見て, かっこいいと思い,自分は甲斐バンドを好きになり,半年後くらいに (アクゥースティック)ギターを買ってからでしょう。 それまではTVで歌謡曲を聴くくらいでした。
子供の頃からプラモデルとかが好きで,工作も好きでした。 歳をとるにつれてだんだん複雑な電気工作とかも好きになりました。 当初はラジコンとかで電子工作をやってましたが,引っ越し等の環境の 変化でラジコンは中学2年くらいを最後に全くしなくなりました。 中学時代はギターはフォークで,甲斐バンドのアクゥースティック曲以外には 中島みゆきとかを好んでコピーしてました。 高校に上がってからギターはエレキギターに代わり,それに応じて 聴く音楽もだんだん洋楽になるとともに,ギターのエフェクタ,そして シンセサイザーに興味を持つことになってきました。
ちなみに,絵を描くことを楽しいと思い出したのは中学3年からで, わたしは高校の頃は美術部でした。これも大事なわたしのベースですが, ちょっと今回の話の流れと合わせるのは難しいので,横に置いておきます。
さてエフェクタに興味を持った私は,音の電気信号をどういじったら どういう風になる…っていうのに興味をもって,徐々に音楽から 音自体に興味を持つようになったのでした。そしてそれと平行して オーディオにも興味を持つようになってきました。電気工作も 好きだったので回路をコピーして自作したりもしてました。
ちなみに関係ないですが,わたしは高校に入ったばかりの頃は パイロットになりたいと思ってました。これはすぐ撤回されましたが(^^;)。
さて,こういう流れで来て,高校3年に上がるくらいに進路決定を 迫られたのでした。当時の考えとして,自分は「音楽」と「音」に 興味があると思ってました。音楽はクラシックをやりたいという わけではないので大学の進路とはあまりシンクロしません。そういう わけで,「音」をいじれる大学に入りました。
結局その大学で勉強した内容がおもしろかったので,そのまま 仕事に選んだわけです。といっても,高校の時に大学に行った後に つく職業と,卒業時点でつこうと思った職業はかなり違ってましたが(^^;)。 当時,思ってましたが,もし受験に失敗して そういう大学にいけなかったら,東京の大学にいって,バンド活動を 一生懸命やろうとしてました。まぁ今,考えるに,だからそれで?…って 感じはしますが(苦笑)。
さて,ここまでだらだら書いたのは,次のことを書きたかったからです。 結局自分は高校のある時期の状況と当時の興味で今の(方向性の)仕事を選んだ のだなぁ…と,良く思います。もちろん後悔しているってわけじゃ ありませんが…。
と思うのは,大学に入ってからしばらく,就職してしばらくぐらいまでは 大学の勉強ってわけじゃなく,好きで音響の本を読んでました。興味が あったのです。しかし今の自分が趣味で読んでいる本を思いおこすと, 音響の本は非常に少ないです。もちろん読み尽くしてしまった…って いうのはあるんですが,だからといって今まで自分が読んできた本が 完全に消化できてるわけじゃありません。だけど,それを身につけるより, 別の新しいことの方に興味が向かっている実感があります。
もしこのいまの興味が学生時代にあったなら,間違いなく別の道に 歩いていたなぁ…と思ったりもします。 就職してから,一時期(現在も含めて)読みあさった本としては, 歴史の本だったり,宗教の本だったり,エコロジーの本だったり 思想の本だったり,動物行動学の本だったり脳科学の本だったりします。 飽きてしまった分野もありますが,学生時代にはまったら, そっちに進んでいた可能性はずいぶんあります。今でも物性や ナノテク,エネルギーとかの研究をやっていたら,おもしろかったよなぁ…とか 良く思いますし。
というわけで,人間の興味なんてそんなに続くものではなく,特に 研究職の場合,勉強してる段階から研究への段階へ進むにつれ, 限界がわかってくるので,なおさら停滞感を感じるのかも知れません。
最初に仕事を自分の意思で選んだと書きましたが,興味で 仕事を選んだ場合,興味がうせたときに,その仕事をやってること自体に 結構疑問を持ったりするものだなぁ…と最近思ってしまいます(^^;)。 全部誰のせいでもない,自分の意思の結果なんですけどね:-)。
それにつけても,そうやって仕事に選んだ音響技術にもだんだん 興味が薄れていくなかで,音楽を聴くという事だけは20年経っても 衰えもなく自分の興味の第一番にあることは,ある意味驚異に 思ったりもします。自分にとっての音楽ってすごいんだなぁ…と。 もっとも,これは仕事にしなかったせいもあるかとは思いますが。 まぁでも趣味で音楽を聴く人の中には,歳とともにだんだん 興味が薄れる人も多いので,やっぱりよっぽど自分にあってるのでしょう。
ただ,自分の場合,音楽はまだまだ発見を感じます。この新鮮味を 仕事の方に持てればいいのですが,何が違うんでしょう?…。なにか 自分の姿勢の問題のような気もしますが(^^;)…。
音楽の場合,以前書きましたが,聴き方が 変わって来ているというのもあります。昔の方が,今思うに 表層的(シンボリック)なものを聴いていた気がします。研究に対しても, そういう接し方・見方を変えたら,何か違った部分が見え,新鮮さを 感じることが出来るのでしょうか?。
これは,自分の仕事を続けていく上で,どうモチベーションを維持するか? という問題のような気がします。まぁ「興味なくなったら辞めればいいじゃん」って 意見もごもっともとは思いますが(笑),まだ自分で今までやったことを 形にしたという実感がないので(^^;)…。
今回は極めて個人的なことを書かせてもらいました。 年取ると自分の過去を振り替えることが多くなってだめですねぇ(笑)。