私の病気について。その5
前回はこれ。
先月の9日にわたしの手術から5年目の検査結果を聞きに行きました。 日記にも書きましたが,再発は認められず,経過監視も終了しました。 これで無事通院は終了。これでこれまでのことを思い返し,まとめられる…と 思いましたが,はやる気持ちを少しクールダウンしてから書こうと, 待っていました。
そうしたら,結構いろいろ状況が変わってしまい,単に過去の振り返りだけを 書くわけにもいかないな…という心境になってます。というのは大きく二つ。一つはその後人間ドックに行き,別の病気の指摘… といっても注意くらいですが,それを受けたということ。 がんの再発の恐れは無くなったとしても,以前と同じようになにも気にせずに 生きていけるわけでもないということのようです。なんということよ。
もう一つは,昨日スティーブジョブスが亡くなったということ。ジョブスは わたしと同じく膵内分泌腫瘍だったと思われます。彼の病状はわたしの 未来のように受取っていたわたしとしては,再発の心配が無くなった このタイミングで,彼がなくなったことに不思議なものを感じました。 多分2ヶ月前に訃報を聞いていたら,自分の検査結果を聞くのも怖かったでしょう。
よくよく考えると,膵内分泌腫瘍は珍しい病気で,わたしはわたし以外に この病気になっている人をリアルタイムで知ったのは二人しかいません。 でももう一人の方も1年ほど前に亡くなりました。
ある意味,二人ともわたしがある程度勇気を持てるようになるまで頑張って 待ってくれていた…という気がしないでもありません。そういう意味で 不思議な感謝の気持ちを感じます。さて,そういう現状で完全健康体になったわけでもないのですが, 少し病気について振り返ってみます。これまであまり病気のことを 書くと,不吉なことが起きるのでは?と伏せていたことも多かったので。
私が自分の病気を知ったのは,5年前の6月,人間ドックでの腹部エコーで 膵臓に腫瘤があるという結果になったとき。結果を告げた医者が 「すぐに病院に行け」というので,ガンの疑いか…というのはわかりました。 病院に行く前に調べたかどうかは忘れましたが,すい臓がんをネットで調べると, かなり恐ろしいことが書いてました。それで,ドックの翌々日くらいか?, 病院に行きました。予約していったのかどうかは覚えてませんが, 飛込みだったかもしれません。
最初は消化器内科に行き血液検査とかCTの予約。紹介状を持っていったので, 最初からガンを疑っていて,検査入院して,そのまま必要だったら 手術をするか?といわれました。でも,その時,ちょっと仕事を抱えていたので, 8月まで待って欲しい…と言ってしまいました。すい臓がんだったら 3ヶ月くらいで倍の大きさになりますよ…と脅されたのを覚えてます。
CTの検査をして,その結果を聞くと「いわゆるすい臓がんではないですね, でも切りましょう」みたいな事をいわれました。その時はっきりいわれたか その後にいわれたか忘れましたが,膵島細胞腫瘍の疑いとのことでした。
わたしはその間に抱えていた論文の投稿と,実習生の面倒をこなしました。 実は8月の頭にはそれが終わってしまい,2週間程度暇になったので, 入院を早められないか?とかその時に急に思ったりしました。 入院までに時間を開けたことは,後から,「遅くしたから進行したのでは?」 という不安をずっと持つことになり,やっぱり全てを投げ出して手術した方が 良かったかも…とずっと思ってました。 まぁいまとなってはそれは無かったのですが。
8月末になり入院。手術まで一週間くらい検査とか色々やって,内科から外科に異動, 主治医も変わりました。当時わたしは都内に独り暮らしでしたから, 自宅をどうしようと不安で,九州の母親を入院前に一度呼び, あと当時付きって間もない,いまの嫁さんを呼んだりしてました。 もしかしたらこのまま自宅に帰れないで病院で死ぬんでは?とか思ったりもして, 自宅の整理をちょっとだけやったのを覚えてます。で,手術前には両親がやってきて, 主治医から説明を受けました。一応,手術後病理検査し,5年間経過観察すると いう説明を受けましたが,この時点でわたしが悪性だ…という説明は 受けてなかったので,自分は心のどこかで「自分はがんではないかも知れない」 と思っていたように思います。さて手術。当日は確か朝一で,全身麻酔を受けたので,当然内容は 覚えてませんが,手術直後無理やり起こされ,切った部所を見せられたのを なんとなく覚えてます。赤いカタマリがトレーに乗ってました。 手術後いつ起きたか良く覚えてませんが,お腹を切りましたから, 腹筋など無くなり,起きることもできないどころか寝返りもうてない状況。 口にはパイプが入っていて唾をうまく吐けなかったりとか, まぁ散々な状況でした。夜中に何度も看護婦さんが来てくれたのを覚えてます。 あと何回かベッド上でレントゲンとられたりとか。
それでも手術の翌日には無理やり起こされて,数歩歩かされました。 で,まぁいろいろあって三週間くらいで退院。100メートルくらいしか 病院で歩いてないのに,山の手線にのって一人で帰りました。 なんか凄かったなぁ。そして退院から1週間くらいで会社に復帰。 …といっても10時〜3時勤務,駅までタクシーみたいのを一ヶ月くらい やってました。
手術後検査のために半月に一度くらい数回病院へ。そして何回目かに 病理結果が書いてました。「膵がんの疑い」と日本語で書かれてました。 英語で「内分泌腫瘍」の英語が書かれており,リンパ管等はないが, 血管への侵襲(level2)してるとのことで,肺や肝臓へ転移の恐れがあると 説明されました。なんとなくこの時もピンと来て無かった気がしますが, 病院からかえって徐々に「がんだ」と感じてきたのを覚えてます。さて,それからは普通に仕事に復帰し,落ちた体力も少しずつ戻って いったのですが,内分泌腫瘍は情報が少なく,調べても膵臓がんの 情報ばかりですから怖いことが沢山書いてます。いったい自分の進行度は 幾つなのか?,五年生存率は幾つかのか?,検査結果とネットの 情報をみてもわからないことばかりでした。医学専門書を買って 読んだりもしました。
そういう状況ですので,元々心配性のわたしは,すぐに再発して,死ぬんじゃないか? という想いはかなり強かったです。一年後には生きてないのでは?と 本気で思ってました。この想いは結局のところ3年目の検査で異常無しが 出た辺りで,ようやく薄らいだのを覚えてます。
初めてWebに自分の病気のことを書いたのが手術から一年経ってからですが, それまでは一種のノイローゼみたいな状態で,病気のことを 文章化するのは無理…という心境だったと思います。まぁそんな感じで,その後は一年毎に書いていたので,徐々に落ち着いていった 感じはわかるってもらえるでしょうか?。
実際に自分がガンになってみて,ガンというのは殆んどの人がかかる病気と いわれながらも,多分殆んどの人がわかってない病気なんだなと つくづく思いました。実際ガンといっても様々で簡単に語れるものでは ないというのもありますが,亡くなった方のケースが多く語られるので, 結局患者の視点があまり語られないというのもあるでしょう。 自分がガンになって情報を探していて不満だったのは,完治した人の 情報や言葉が少ない事でした。ガンにかかって完治した人や, かかっていても長生きしてるケースをみると,凄く勇気づけられるのですが, そういう人は,実はあまり語っていなかったりもするようです。 メディアは悲劇ばかりを取り上げますが,当の患者はそんな悲劇を みたくはないわけです。
そういうわけで,わたしは少なくとも再発はとりあえず視野に入りにくい 状況になってるわけですから,これからもおりを見て,病気のことを 語って行った方がいいんだろうと思います。
とりあえず,今回はこれまで。