世の中でどれくらい認知されているのかわからないが, 最近,レイブカルチャーというのがある…と書くのも正確じゃ ないけど(^^;)。これらをどう説明していいのか,良くわからないが, 無理やり説明すると,もともとレイブというダンスをするのを 楽しみとする人達のカルチャーだが,60年代のヒッピーの 文化と似通って,自然を愛して,カラフルな服を着て, といった様相を持っている。実際野外で行われる,レイブパーティ (まぁ野外ディスコのようなもの)に行くと,周りでバザーみたいのが 行われていて,そこでは手作りのサイケデリックな服とかが売られていて, さながらTVや本で見たヒッピーの様な感じである。
レイブがヒッピーカルチャーと共通性があるというのは,先日 NHKで窪田栄一さんという方が製作し放映した 「ETVカルチャースペシャル 30年目のウッドストック」 という番組から与えられた視点である。 私自身がレイブパーティ等で感じたものからもそう感じる。 この考え方が一般的なものかどうかは不勉強なので 良くわからないのを一応断っておく(^^;)。レイブ以外を見ても最近の若者のファッションは60年代を髣髴させる ファッションが多い。ミニスカート,外巻の髪,頭につけたサングラス, そこの厚い靴,ラッパなズボンなど…。更にテクノ系の服などが,まさに そういうものが多い。スペーシーなファッションである。
なぜいまこういうカルチャーなのであろうか?。単にファッションは 20から30年周期で回ってるだけという仮説もあるが(あるのかな?。でも 私はそう思ってます^^;),いま60年代のカルチャーが再浮上しているのは それ以外に60年代との,類似点という意味で必然があると思える。 もちろん60年代特有の事情というのはあるんだろうが,それを差し引いても 共通点はあると思う。
私が一番レイブカルチャーで不思議に思うのが,自然思考とテクノロジー 称賛が同居していることである。原子力否定,農薬否定をする反面, インターネットを利用しDJというディジタルの武器を使って音楽を 生成する。このバランス感覚は私はうまく取れず,実はレイブカルチャーに 入り込めない一番大きな理由の一つになっている。音楽もトランス系とかで 民族楽器を使っていても,バリバリにディジタルエフェクタをかけた 音になっていたりする。つまりレイブカルチャーではディジタル技術というのは 肯定されているのだ。では60年代はどうだったのか?。実は60年代の ヒッピーからは多くのディジタル技術者が出ている。一番大きなものは, スティーブ・ジョブスと,スティーブ・ウォズニアックであろう。彼らは ヒッピー出身と言える。そういうことからも,60年代ヒッピーも 実は自然回帰指向はあったが技術指向もあったと言える。
だらしない服を着て,地べたに座り込む若者であるが(笑), ここ2,3年の傾向として,若者の文化はディジタルが完全に一体化 したといえる。コンピュータを使うミュージシャンは当たり前になり, 携帯電話で若者同士は接続されている。若者たちは,ディジタル 技術を当たり前の便利な道具として使っている。
60年代のことは私は良くわからない。本とかでしか読むしか ないのであるが,実はその時代も技術と若者文化との一体化が あったのではないか?。当時はディジタルはほとんど確立されてないから, アナログというか,当時でいうと「電化」であろう。音楽でいうと, エレキギターが一般化しエフェクタで特殊効果を産みだし, アナログシンセサイザーを使いこなした音楽が登場し, PA装置の発達で,大音量で音が出せることになり,野外での 大人数参加のコンサートを可能とした。映像面でもカラー印刷や カラー写真,カラー映画等の加工が手軽に可能となり,ポップアート 等が次々と生まれていく。通信も電話やファックス,ラジオ,カラーテレビ 等が生まれてきて,そこから若者の文化が生まれていく。
ある意味現在も60年代当時も,エコロジーとか自然回帰とかいうが 技術否定ではない。だから人工物の象徴であるような,原色の ファッションを好み,電気処理の象徴であるような,ディレイ(残響) 処理をかけた音楽を好む。やはり類似性はあるのである。 私は以前「身体の拡大の終焉」で, 「(現在の若者は)物理的拡大を求めない」ということを書いたが, 現在はディジタル技術(=情報処理技術)的な発展が 一般化して,そこに可能性を求めているカルチャーなのかも知れない。 そして,古い技術(動力,薬品)をアンチテーゼとすることで, 更なる推進力としているのかもしれない。
この辺の感覚には実は違和感をおぼえる。それは私自身が 技術者でありインターネットが生まれる前から電子メイルを 使用しており,自分の手でディジタル技術を発展させる手段を 考えてきたので,そういう技術に夢を持っていないからだ。 というか,私の中ではかなり限界が近づいている感がある。 一般の人に使われだした技術は,研究の分野では既に終わっている と良く言われる。コンピュータネットワークは一般の人に使われだして それなりの効果を示したが,基本方式は既に確立されていると言える。 だから研究分野の人はそんなに夢は持っていない。それゆえ, そんなにそれらの技術が人類を幸福にするとは思えないのである。
60年代の技術はその後人類を月面に連れていったり,ディジタル 技術への橋渡しを担ったりしてきた。ディジタルは60年代の 10年後,70年代に芽を出し,90年代にようやく一般化した。 だとするとディジタル情報技術の次に来る技術も 今から10年後に芽を出しすのであろうか?。さらに 30年後に一般化し,そこで,また新たに技術への希望を持った若者が 表れるのであろうか?。しかしディジタル技術自体は30年どころか, 第二次大戦頃から生まれているのであり,そういう意味では, 今研究室にあり日の目を見てない技術が,その技術になるはずである。
60年代のカルチャーの後,技術は我々に夢を与え,SF小説を はじめとする様々な文化を生成してきた。現在のディジタル技術も きっと新しい文化の創造の種になるはずである。そういう意味で言うと, ここ数年はきっとおもしろいものが生まれるであろう。 ここで新しいカルチャーを「クダラナイ」という人は, エレキギターを持ったボブディランに石を投げた人達 (といってもわからないか?^^;)と同じレベルであろうことを, 肝に命じて頂きたい:-p。