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性差ということについて,しばらく考えたり感じていたことを 徒然に書いています。一応,今回は二回目で完結という事で, もし前回を読まれていない方は, 前回を読んでいただくと助かります。
- Indroduction
- 楽器の好み
- 空間感覚
- マルチタスク
- 性欲(異性へのアピール)
- 安全
- 転職
- 人間関係への意識
となってます。前回は割とわかりやすいというか,普通の 生活をしていれば感じられることを書いたつもりです。 しかし,それゆえに表層的である気がします。つまり, 文化的だったり,生理的でも更に上に文化的な要素がのっかって いたりして,はっきり書くと個人差で吸収されがちな要素 が多いと思います。ですから,前回の分を読んでも,「そんなこと 無いなぁ」と思うとことは多いかも知れません。
今回はちょっと違った方面の話を書きます。簡単に言うと 変性意識や無意識の部分を考えて,それから 宗教における役割にまで話を広げようと思います。
感覚交差
「感覚交差」という言葉が正しい言葉であるのかは良くわかりません。 ここでの意味は,例えば「音を聞いて映像が浮かぶ」とかいう風に 別の感覚器からの刺激から,本来他の感覚器の刺激によって起きるべき 感覚を感じる…ということです。わかりやすくいうと「音楽を聴いて 風景が浮かんだ」という類のことを示してます。これについては,女性に多く見られる気がします。というか, 「音楽を聴いて風景が浮かんだ」というのは,通常男性では 単なる比喩的な表現としてとらえていて,本当に見える 人は少ないのではないでしょうか?。少なくともわたしは以前はそうでした。 ところが,どうも女性の話を聴いていると,本当に頭に映像が浮かんでいる 様なのなのです。
幻覚
別の刺激によって,映像が浮かぶ…,といことは日常の生活で 幻覚をみる可能性が高いことを示唆するように思います。 また,幻聴も多いのかも知れません。「幻覚をみる」というと特別のことのように思うかも知れません。 しかし実は,そんなに特別のことではありません。次の項目で 挙げる「変性意識」で詳しく書きますが,人は簡単に幻覚を見うる のです。むしろ「幻覚をみないように目を開けている」と いるのではないか?とすら思います。 その証拠に例えば感覚遮断マシンの様なものに入って, 自分の周りの状態がわからないようにしてしまうと,幻覚は誰でも 見えるようです。また定常的なノイズをずっと聴いていると,それが 音楽に聴こえてきたりします。
ただこういう特別ではないことですが,やはりこういうことを いうと「そんな馬鹿な」というのは男性です。 ただこれは単に男性の方が,変性意識体験を自覚しにくい… ということもあるのかも知れませんが…。
変性意識
変性意識というのは,通常と異なる意識状態を 指します。通常と異なるわけですから,結構いろんなタイプの 状態があります。おそらく一括りにするのは,あまりにも乱暴 なのでしょうが,とりあえず今回は変性意識とまとめておきます。例えば,「酒に酔っぱらっている状態」も一種の変性意識状態, 「夢を見ている状態」も,その一種です。 他にも,瞑想や薬物によるトリップ, 感覚遮断マシンによって幻覚を見ている状態, 「金縛り」もそうではないか?と言われています。 女性がセックスのオーガスムスの状態もそうです。 祭りで集団トランスしてしまうのもそうです。 経験したことがある人には,わかりやすいのですが, したことがない人には非常にピンと来ない感覚と 言えるでしょう。 少なくともオーガスムスの状態を考えるだけでも 男女には歴然とした差があるように思います。
もっとも,AV監督で有名な代々木忠氏によると, 男性も,真のオーガスムスを得て失神するようなことは ある,とのことです。まぁ普通はないですね,そういうこと(^^;)。 ただ,これも男性主導でセックスをするようになって,後天的に そうなっているだけなのかも知れませんが…。
で,どこに性差があるかというと,女性の方が男性より 簡単にというか,日常定期に変性意識になりやすいのでは ないか?,ということです。確かに,わたしの知人の話とかを 聴き集めても,女性の方が,ある時の記憶がすっぽり抜けてしまったとか, 自己中毒になり倒れたとか,子供の頃幽霊をみたとか そういう話が多いような気がします。むしろ男性は「そんなこと あるものか…」等と言ってしまって,それで逆に女性はそういうことに 対して口を閉ざしているのではないでしょうか?。
女性は月経とかもあり,身体が男性より不安定な気がします。 本当かどうか知りませんが,月の満ち欠けで体調が 変わる人もいる…と聴いたことがあります。 セックスで腰が抜けたりするのも,通常女性のみですが, 一方で出産時の痛みは男性だったら失神してしまうほどのものだ…, という話も聞きます。総じて女性の方が日常で感じている感情・ 感覚の幅が広いように思います。
男性が瞑想などをして,神の啓示(の様なもの)を受けて,喜んで 奥さんに話すと,「そういうこと時々あるよ」なんて言われて, なんとなく拍子抜けになった…,等という話も聞いたことがあります。 男性は変性意識を特別な状態としてとらえて,ほとんどの人が 経験が無いようですが,女性には「変性」ではなく,「通常」意識 なのかもしません。
多重人格
多重人格とは,自分のなかに複数の人格がいるという 状態を指します。自分が寝ている間に,別の人格が現れて, 知らない間になにかをやっていた…というのもあるようです。 自分の中に複数の人格がいるのを感じる人もいれば,いない人も いるようで,いずれにせよ,通常は障害ととらえられているため, 自分がそういう状態になっていても,誰にも話せず悩んでいる人が 多く,そういうことが起きていることは表層化してません。しかしやはり代々木氏によると,結構いるらしいのです。 代々木氏が「マルチエイジレボリューション」という本の中で, 多重人格の人のレポートを書いた結果,相談がかなり増えたらしいです。
これもなぜか女性が多いそうです。これについては,この後の 「憑依」とも関連しますし,前項の「変性意識」とも関係あるように 思います。むしろわたしが今回の一ページで言いたいことは, この辺に集約されていると言えます。
多重人格が生理的にどういう状態なのかは良くわかりません。 同時に現れることが無い様ですので,もしかしたら互いに アクセスできない複数の経験の記憶を持っていて,それが切り替わってる のかも知れませんし,もしかしたら自我を感じる部分が, 複数になってしまっているのかも知れません。
ただ,多重人格とは異なりますが,一人っ子の子供とかが幼少の時に, 見えない遊び相手を持っていて,一人でその子と話したりする…というのは 割りと良くある話のようで,複数の人格を,自分の中か 外かは別として,感じることはそんなに特殊なことではないのかも 知れません。しかし,こういう話を聞いて全くピンと来ないのも 男性の方だったりします。
脱魂と憑依
シャーマンと呼ばれる人たちがいます。わかりやすくいうと, 宗教とかで神憑りになる人たちです。日本だと「イタコ」, 沖縄だと「ユタ」等が当たりますが,世界中を見渡すと 男性も女性もいます。そもそも,ほとんどの宗教は,その創成の時代に, 創始者が神憑りぽい状態(神様をみたり,悟ったり)になっているので, もしかしたら,すべての宗教はシャーマンによってはじめられたの かも知れません。さて,そういうシャーマンですが,その神憑りのなり方が大きく分けて, 二種類あるようなのです。一つは脱魂と呼ばれるもの, これは自分の魂というか,自意識が自分の体を抜け出て,遠くに行くというもの。 幽体離脱という言い方もします。アメリカの方ではジャーニーと 読んだりもしているようです。 そしてもう一つが憑依と呼ばれるもので,自分のからだのなかに 別の人格が入ってきて,喋ったりするものです。イタコの口寄せはこれに 当たるようです。
そして,この二つの神憑りを調べると,どうやら脱魂は男女ともに みられるが,憑依は女性に極めて多く見られる様なのです。 はっきりしたデータはありませんが。
ここまで書くとお分かりかも知れませんが,憑依は多重人格と非常に 類似してます。一方脱魂は明晰夢や幻覚に 近いとも言えます。
わたしは女性に憑依が多いことと多重人格が多いことは関係あると 思っていますし,そもそも女性の方が変性状態になりやすいのではないか?, 一方で,男性は女性に比べてかなり狭い範囲の,誤解を怖れずにいうと, ずいぶん単純な世界に生きているのではないか?と思ったりします。 単純故に論理的に構築しやすくそれゆえに論理の構築を 好むのは男性ではないか?と思うのです。
宗教システム
これらのことから考えると,なぜ巨大可能な宗教を開くのが 男性なのか?というのが段々わかってきます。例えば日本においても, 最初,ヒミコという女性から民族宗教が始まっているのに, それを国家宗教にしたのは男性です。 沖縄のユタの様に女性が呪い(まじない)を行っている場合は 宗教的ではありますが,あまり大きな組織にはならず,せいぜい集落を まとめる程度の様に思います。宗教という組織を大きくするには,その教えに論理的な補間をし, ルールを作ったり,組織をつくったりしなければいけません。 どうやらそういうことは男性の方が得意な様なのです。 西洋の学問において,男性がずっと引っ張ってきたのも,男性の方が 論理作りがうまいからかも知れません。また「宇宙」や 「異次元」等と言った世界観への興味も一般に 男性の方が強いようです。
しかし,それは別に男性が,頭がいいというわけではなく,むしろ最近 わたしは,単に男性の方が物事を単純にしか捉えられないため, ルールをつくるのがうまいのではないか?…と思ったりしてます。 女性の方が,右脳と左脳が同時に働くという話を聞きます。右脳は 感受性ですので,むしろそういう論理作りを邪魔しているのかも知れません。
しかし,そうであるならば,「芸術は女性の方が得意なのでは?」 という疑問も浮かびます。しかし芸術は表現手法をある程度構築しないと 実際は作品になりにくかったりします。もしかしたら女性が感じている世界は, 絵や音楽では表現できないくらい,表情豊かなものなのかもしれません。
まとめ
前回,今回まとめてみると,そもそも男女を同じと仮定するということに 対して,かなり無理があるようにも思います。もっとも個人をみても, 他人が自分と同じように物事を見聞きしているなどという保証は どこにもないのですが,男女の傾向の違いはあるように思うのです。「性差」ことが,「脳の構造」の様に生理的に言われるように なったのは,最近の脳への感心が深まってる状況に対応していると 言えます。そこまで大きく取り上げられているかどうかはわかりませんが, もしそうなるのであれば,それはある意味男女均等化への 歪み…がもたらしたのかも知れません。
社会が近代化していく中で,その近代社会において,男女が均等に 扱われるべきだ,という話になっています。そうやって,段々 女性が男性の社会の中に入ってくると,同じことをやるがゆえに, むしろ違いが強調されてきてるのではないでしょうか?。 そして,その理由を生理的なものに求めようというのが一つの 傾向なのかも知れません。
しかし,生理的な原因は生まれつきということですので, 間違って乱用すると,差別になります。生まれつきの素養でも, 本人の経験でほとんど別の性格になることもあり得ます。
昔は男女の役割の違いというのは,出産・養育・体力等の違いから 出てきたのでしょうが,文明により,その差が埋められる,もしくは 業種により問題にならなくなってきています。そもそも, 男女の役割などというのは,時代で変わるものですから, 決めつけても仕方がない気がします。
わたし自身は,この男女の違いというのを,そういう社会での 役割分担の論理的根拠の様に用いるのは反対で,もしかして, そうならないか?…とちょっと危惧したりしています。これは 男女問題に限らず,遺伝子の問題もそうで,生まれながらの 才能を変に規定する様になったら,非常に良くないと 思います。
わたしが今回,この文章を書いたのは,むしろ自分が普通と感じる 以外の世界がたくさん存在するということを再発見したかったのと, 他の人の感じる世界を素直に受け入れたいと思いたかった からです。 まだまだ,自分の知らない世界は自分の身の回りに転がっています。 それはちょっとしたことで,感じ方や考え方が変わったときに, 急に見えたり,聴こえたりするものです。そういう発見をわたしは 楽しみにしています。