論理的な生まれ変わりの肯定
現代科学は死に対しどう答えているのか? では,科学において死が説明出来てないから科学は宗教に比べ不完全である, ということを述べた。しかし現代科学も元々は西洋の宗教の手法で 述べられている。論理学というやつだ。 イタズラに「神を信じよ」と言ってもピンと来るものではない。 それなりに説得力を持った論旨が必要である。
先日読んだ「生きがいの創造:飯田史彦著」はその辺を 論理的に説明しようとしている。論理的と言っても,論理的に 証明するわけではなく,「信じたほうが得るものが多い」と いうのを論理的に説明しているのである。
もっとも飯田氏が説明してるのは神の存在ではなく,死後の世界や 生まれ変わりの存在である。そして魂の存在である。 これらを信じて生きた方が豊かな人生を送れるといっている わけである。 これは非常に筋が通っていると思う。死後の世界の存在は どうあがいても証明不可能なのである。とにかく あるという証拠もないという証拠も現在無いに等しい。 であれば,自分にとって得な方を信じればいい。神や魂の存在についても そうであろう。
この本は,多少飯田氏の自賛的な面が感じられてその辺は鼻につく( 逆にこれがなければいい本だと思う)のだが,とにかくいい刺激に なった。
死の実感
では同じように神や魂の事も考えればいい。死についても 考えればいいわけである。最近たまたま親しい人を亡くした人から メイルをもらうことがあり,いろいろ考えた。もともとわたしにとって 「死」というのは永遠の課題である。先日東北に行って,寺や 石を見てきたときも,去年出雲に行ったときも,そのものに込められた いろんな人の思いのようなものがひしひしと感じられた。
人はどんなに現代科学の教育を受けていても,自分が死んだら 単なる「もの」になるというのを実感できないし, 自分の親しい人が死んだ場合も,単純に動かぬ肉に変わったなどとは 思えないものである。自分の死と他人の死は 実は同じように扱えない,実際に自分に影響を与えるのは 他人の死であることは,あるのだが,それについてはまた別途 述べるとして,実際に死をそういう単純な物質の変化として 捉えるにはあまりにも実感にそぐわないのである。
人の死はあまりにも多くのものを残した人に残す。 それは魂と呼ばれる。その魂は現代科学では 「気のせい」の様に言われているが果たしてそうであろうか?。
心の証明
わたしは「魂とは何だろう?」というのを考えてきた。 一つは宗教的に考えることもできる。それはそれでいいのだが, 科学的に考えることは出来ないのであろうか?。もちろん科学で 説明できればそれが正しいというわけではないが,飯田氏の様に 論理学的手法で魂の存在を説明出来てもいいと思う。
その前に「心」とは何であろうか?。漠然ととらえず, 現代の流行りの方法で説明すると,脳の中で起きていることであろう。 脳は結局は細胞や分泌物の科学変化等で,その感情や情報の伝達が 生じるわけであるから,心とは「脳の状態」と説明 することができる。考えたり,感じたりすることはイコール 脳の状態である。ただし,脳のある部分の状態が「心」ではない ので,それは注意して欲しい。脳はあまりにも複雑で,そして 常に変化している。従って部分を取り出しても,本当の ことはわからない。そういう意味では完全に解析は 不可能だ。しかしこの論理で心の存在は科学的に 説明できる。
魂の存在
上記と同じ手法で魂を説明できないだろうか?。 その前に魂とはなにかを整理する必要がある。明確に 定義するのは不可能なのかも知れないが,例えば 「ある場所で,ある人の魂を感じる」とか「過去の人の 魂を感じる」とかいう表現がある。人である必要もない。 動物やものの魂というのもあるようだし,それが込められている ものも人だったりものだったり土地だったりする。
つまり魂とは「跡」だと言える。
魂の証明
そこで,わたしは魂とは,あるもの(人)の影響により あるもの(人)に対して残された痕跡(状態)だと定義する。 例えばある人が,ある場所にいる。その人はそこでなにかをする。 なにもしなくても息をしたりする。そうするとその人は必ず その場所に影響を残すわけである。またある人がある人に会うと, その人の言葉や見掛けが会ってる人の聴覚や視覚,そして心に 影響を与える。それは完全に消え去ることはない。
つまりこれらの影響の痕跡が魂なのである。 ある人がある場所に残した影響を後日他の人が感じることが不可能 であるかどうかはわからない。感受性の強い人,そして同じ人から 違った影響をうけている人なら,その相互作用からその人の 痕跡を感じることは可能であろう。状態の変化は必ず存在するわけだから, 結局魂の存在はそれでうまく説明できると思う。
魂を発する
上記のような論理で魂は心と同じように説明できる。 人の感受性は他人はわからないわけだから,その状態を 自分が感じられないのに他の人が感じるというのを否定できる はずがない。それに感じられないものが存在しないなど,言えるはずがない。 電波など人は感じられないが,存在は今や誰も否定しない。上記のような説明では,逆に物足りないと思う人もいるかも しれないが,とりあえず魂は説明できる。もちろん,この世が あの世とつながってない証明もないのだから,あの世からの 影響が流れ出てくる場合もあるので,冥界からの魂も当然ありえる。
いずれにせよ確実に言えるのは,人は常に周りになにかの 影響を与えて生きている,それは魂をつねに撒き散らしながら 生きているということである。魂を撒き散らすこと, 魂を受け取ることと,「死」や「生」の関係については 今回はきちんと説明しようとは思わない。それにはまだ 多くの説明が必要だからだ。 しかし最近一つだけわかったことがある。死後の世界には, 地位や財産は持っていけないが,どうやら思い出は 持っていけるらしい。思い出とは人からもらった魂のような気がする。 そうであれば自分も豊かな魂を発したいと思う。