映画とはココロの時空への旅のようなものかもしれない。 映画のスタートとともに,目の前に広がる情景は,まるで 現実と夢と空想と過去と未来がごちゃ混ぜになって, そこには論理も因果もないモノガタリが流れていく。 そこで感じる時の流れは,明らかに日常のそれとは違う。 視点も主人公の視点のようで主人公を鳥瞰的に見る。
私がかって子供の頃,寝る前や,一人遊びの時に 旅立っていた世界もそういうものだったような気がする。 おそらくほんの数十分の間,1,2時間の間に何日もの 旅をしたり,何光年先へと行って帰ってきたりする。 大人になってからは,夢の中で似たような体験をしたり, 瞑想の中で似た体験をしたりもする。怖い思いや, 全く不条理な目にあって,ひどい目にあったりしても, なぜか,その中でわくわくしたり,また後から思い起こすと, 結構楽しい体験だったりする事が多い。まぁ最悪の夢というのも あるが(^^;)。
「千と千尋の神隠し」という映画は,そのような夢のような 映画だ,と見終わってすぐに感じた。映画の中に現われる人々(?), 起きることは,ハチャメチャで全く筋が通ってないし(笑), それでいて,見える風景は非現実的すぎるほど美しい。 そもそも主人公の千尋以外の視点(つまり彼女がいないシーン)が ほとんど描かれていないのも,ストーリや世界観の説明より, 彼女がその世界で体験したことを中心に描かれているという 意味で,見ている私たちも,彼女が夢の中の自分のような 錯覚をおぼえてしまう。そもそも映画の最初と最後が, 夢と現実の境界を示しており,この映画が,夢…というより (もし夢が,我々の周りにある普段アクセスできない領域との 橋渡しをするものとすれば),「彼岸」へアクセスする 体験を描いているようにもとれる。
そういう意味で言うと,最後のシーンを,あそこで切ったのは絶妙 に思える。あの後をどうかくかは,いくつか常套手段が 考えられるが,夢オチにうるさい私としては(笑),どう描いても, それなりに不満を感じたかも知れないので(^^;)。
宮崎アニメ的に言うとこの映画は,トトロに近いのかも しれない。あれも主人公が非日常の体験をするだけの映画だ。 ラピュタやもののけ姫は,最初に事件があり,その事件を 次の段階へ押し上げるという,一つのストーリであるが, この映画やトトロは,ストーリなど無い。しかし,見る人を あっち側に連れていき,そして自分のココロの中の何かを 呼び起こして,そして現実に連れ帰ってくるという類いの ものだろう。2時間という上映時間は物理的な時間であるが, 夢が数日のシーンを見るのに数分で済むように,あの映画を 見て感じた時間も,ココロの中で動いた時間だと考えれば, 如何に我々が普段感じている時間というものが,不連続で 等速ではないかが,何となく感じられる。
そういう意味で言うと,この映画は,観るというより体験する ものなのであろう。
…,以下,茶々というか細かい点(^^;)。
今回も作画力,動画も,背景も含めて,すばらしいレベルでした。 確実に毎回進歩しています。明らかに世界一の技術でしょう。
シーンに出てくるたくさんの神様達は,まぁ,よくこれだけ アイディアを出したなぁ…っていうくらいバリエーション豊か。 たぶん監督以外もいろいろアイディア出したんでしょけど, よく考えられてます。まぁ主役級は,いつもの…,って話も ありますが(笑)。
千尋が言葉遣いというか礼儀を直されるシーンが結構 多くて,もしかしたら今の子供に礼儀を教えようと,監督が 思ったのでは?…っと勘繰ってしまいました(笑)。
八百万の神っていうのは,多神教ですから, 一神教からすると邪悪なんですけどね(笑)。 こういうのって例の中東系の宗教からみたら, どうなんでしょう?(^^;)。
それから,「しろはた」でも茶化して書かれてましたが, この映画の設定…,「10歳の少女千尋ちゃんが…,(中略), 「千」という源氏名を与えられて、お風呂屋で湯女としてこきつかわれる」 ていうのは,文章にするとすごいなぁー(笑)。
ちょっと最後は下品になってしまいました(_o_)。