はじめに
アメリカのイラクに対する攻撃が始まってしまい, それに対して世界的な反戦運動が起きる一方で TV等のマスコミには,「はじまってしまったものは 仕方ない。今後どうしていくかだ」的な意見も多く見られる 様になっている気もします。
確かに,先のことを考えるっていうのは大事なんですが, そもそも戦争に反対するのも賛成するのもそれぞれの意見が あってからするべきで,自分の意見を明らかにせず,「とりあえず 今後のことを考えましょう」って態度はちょっとずるい気がします。 現在のアメリカの,日本の判断に対して,自分はどういう意見を もっていて,でも後戻りが出来ないならどうするべきかを 語るべきでしょう。でないと同じ事がもう一度起きたときに また判断をすることが出来ません。昨日デモに参加してきました。戦争反対のデモです。たくさんの 人がいました。そこに自分が参加したという事は当然自分も 「戦争反対」なのですが,しかしそこに参加して思ったのは 同じ「戦争反対」いろんな考えの人がいるってことです。
ふと思ったのは例えば市民運動が元に革命が起きたりするばあいが あります。こういう場合,革命政府ではその後混乱が起きるのが 常套です。それは革命の場合現政府を打倒したいという部分で 多くの人が一致していて革命がおきるのですが,その後にどういう 国を作りたいってい部分ではバラバラだからです。
今回のデモも戦争の中止を訴えるっていう意味では,一致が 感じられるのですが,たぶんその後の,ではどういう世界が いいのか?って部分ではたぶんバラバラなんだろうなぁって 思いました。
正直言うと,シュプレッヒコールの中に「戦争反対」いうのには 同感で一緒に叫びましたが,「イラクの子供を殺すな」っていうのは 実は私は思っていなくて,そっちは一緒に叫べなかったのです。現状,これからを考えていくことは大事ですが,やはり自分の 今回の戦争反対への立場を一回書いておいた方がいいような きがして,書いてみようかと思います。
なにを理想とするか
私が今回の戦争を反対するのには理由があります。みんな理由が あるのだと思います。人殺しに荷担するのが我慢できないって いうのが意外に多いのかも知れません。しかし私が戦争に 反対している一番の理由が今回のアメリカの戦争へのプロセスが 許されることに対する危機感です。こういうやり方をこれからも 許していく事がまずいと思うからです。私は非常に「自分が好きなように生きていきたい」という 欲求が強いです。一方で「完全に一人で生きるのは寂しい」と いうことも若干意識してます。人は「自由」を望む反面「安心」も 求める物だと思います。そしてその自由と安心の求める度合いは 人により違います。私は前者の方が強いのですが,後者が強い人も いるでしょう。集団と関わる限りそれは社会になります。 個人レベルの集団との対峙の仕方, これが結局社会のあり方,そして国のあり方を作っていくのだと 思います。
人は自分が好きなように生きたい反面,社会を形成して, その社会からはずれた人を抑圧します。それが個人レベルだと 村八分やいじめだったりしますが,それが国家レベルだと 戦争になるわけです。ですから,私が望む国家観は結局は 個人と社会のあり方への望みだったりします。
そういう意味で私が望む社会を書きます。私が望む社会と個人の 関わり方というのは,「多様性を認めること」を原則として, そして,「お互いに不干渉」であることです。そして,もっと 理想的なのが「個人が所属する集団を,ある時期に選択できる」って ものです。最後のは戦争の話とはちょっと関係ないですが。
正直,他国の民主化なんてどうでもいい
というわけで,わたしが今回戦争に反対してるのは, 基本的に今回の戦争がアメリカの外で起きてることだからです。 アメリカはフセイン政権を倒してイラクを民主化すると いってますが,そんなことはほっておくべきだと思うのです。 イラクで圧制が行われていようが,それはイラク人が解決すべき ことなのです。日本はかって幕末に他国の介入をほとんど受けずに政権交代に 成功しました。だから日本はその後植民地にならずにすんだのです。 そして太平洋戦争は介入を受けたのでアメリカに頭が上がらなく なったのです。
日本はかって100年もの戦国時代を経験してますが,あの時代に 仮に海外から介入を受けて,外国の傀儡政権ができて早く 戦国時代が終わったらよかった,と思うでしょうか?。わたしは それはよけいなお世話で,そうならなくてよかったと思ってます。
ですから,これはアメリカのやり方への批判でもありますが, そもそもヨーロッパは他国へ介入するやり方を好んでいて, そういう意味では,先進国全部へわたしは反対してます。 大量破壊兵器をもっていて,クエート人を殺そうが,それは アラブで解決すべき問題です。
であれば,わたしがアメリカに反対するのもよけいなお世話って 事になるのですが,たしかにそうですが,私はアメリカや西欧の こういうやり方が認められると,そのうち日本にも,我が身にも そういう事がこないとも限らないので反対してるのです。
そして北朝鮮問題の話をすると,金正日の政権を倒そうとかいうのも よけいな介入です。ただし北朝鮮の問題は日本にも生命の危害を及ぼすため, ほっておけないだけです。
住み良い世界
以上が,わたしが今回の戦争に反対している理由です。不干渉が原則ですが,お互いの集団が利害関係でもつれる場合も あるでしょう。しかしその解決に武力手段を使うのは,ありなの かもしれませんが,それをあたかも正義のようにいい,その価値観が 世界に通用すると思われると困るわけです。
まぁ確かにアメリカはフセイン政権を作ってしまったので, いまさら介入を止められないっていうのかもしれませんが, 自分の過去の過ちを認めずに後始末をしても同じ過ちを するだけです。
かって地球は広く,お互いの民族はあまり接触することなく 暮らすことが出来ました。しかし今は違います。人口も増えましたし, 技術が世界を狭くしました。
ですから,異なる価値観を持つ人,集団を接さずには生きていけなく なりました。そのとき起こる衝突を,どういう風に解決していくのか?, 一つは「強い物が弱い物を支配する」一つは「全部を同じ価値観に 統一する」っていうのがあるのでしょう。でもそれは私は嫌です。 自分は好きなことをしたいので…。実際こう書くと「それは無茶だ」と 思うでしょう。しかしいま世界を突き動かしているのは,上記の 二つの手法だと思います。
ですから私はもう一つの方法「徹底的な不干渉」の方がいいと 思うのです。