大学行方

私の日記とか旅行記を 読んでくださってる方は,ご存じだと思いますが,今年の 6月(2001年6月),母校である九州芸工大の同窓会の総会(懇親会ではなくて) に出席するために,福岡まで行きました。たかが同窓会に出るために, わざわざ福岡まで行ったのは,わけがあります。 じつは今年の始めに,私の母校が同じく福岡にある総合国立大学の 九州大学と合併する方向で話し合いが始まった,と報道が あったのです。これについては全く事前に情報が流れておらず, しかも,問題の性質からして,話があいが始まったと言っても, 実質白紙撤回はないだろう,ということで,OBとしては, 「話を聞いてない」という感じで,仲間内でもちょっとした 混乱が起きてました。で,同窓会の席で学長がこのことについて 説明するという,知らせをうけたので,福岡まで出かけたわけです。

九州大学と私の母校では学生数もけた違いですし,合併というのは 実質吸収という形になるのでしょう。つまり私からすると,母校が なくなるわけです。うちの母校は私が18期,今はもう少し多いが, 私が入学したころは一学年120人という小さい大学で,しかも 非常に専門色が強いため,学生は比較的全国からあつまり, 故に(学生は地元の友だちがいない),学生の結束力も強力です。 したがって,卒業してしまったとは言え,大学がなくなるというのは OBとして悲しいものがあるのです。

また,これも私の事情ですが,私の現在の職場というのは,研究職の ため,最長でも50歳くらいまでしか働けません。それ以降は, 出世してマネージャにでもならない限り,子会社に転属という ことになります。まぁ天下りという意味ではちょっと恐縮ですが(^^;), いずれにせよ,研究を続けることはできません。研究を続けようと 思えば,学位をとって,大学の教員になるというのが一つの パターンになります。そういうわけで,私自身が,いずれ母校で 学位をとろうと思ってる様なところもあるので,母校がなくなるか どうかというのは,大きな問題でもあるのです。 まぁ研究成果があがってないという問題もあるんですが(^^;)。

そういう意味で,大学の在り方というのは,いろいろ最近 問題になってますが,私にとっても他人事ではありません。 最近の話でいうと,大学生の学力が低下しているとか, 国立大学の独立法人化とか,小子化とかの 問題があります。 国の産業の構造改革の話も最近話題ですが,結局は 国の技術力の問題にもなるので,大学の在り方と 産業の在り方は無関係ではありません。 大学の経営が苦しくなってることと,学力が 低下していることは,同じ原因に発しているわけではないのでしょうが, 大学の在り方を複雑にしていることには違いありません。 私としても,「このままでいいのだろうか?」と 思ってしまいます。

まぁ上述の様に,そういう立場なので,学生や, その保護者というよりは,大学の先生の方の視点でつい この問題を考えてしまいますが,一つずつ考えていくと まず小子化の問題。大学の先生をやっている知り合いに聞くと, 自身の研究よりも,生徒集めの仕事の方が大変そうです。 人気集めのために,イベントなどを行っている大学も あり,それはある意味いい社会貢献をしている場合も あるのですが,いずれにせよ研究機関としての大学の 本業がおろそかになってしまっては,「大丈夫か?」と 思ってしまいます。

そういう学生が減って大変なところに,国立大学は 独立法人化されて,まぁ経営責任を問われる 様になってます。まぁ今までが温床だったという話も ありますが,ますます,研究どころではなくなる わけです。そもそも,10年ほど前に学生定員を やたら増やす動きが大学の間であって,「どうする のだろう?」と思っていたら,こうなってるわけで, どうも,先読みが悪いと思ってしまうのは私だけでしょうか?。 大体,特に国立はそうなんでしょうが,大学は 国とかの方針に振り回される傾向が強く,予算を 得るために定員増やしたり,人気のテーマをやったり している気がします。もちろん,テーマなどは 力を入れるべきものがあるので,そういうことが あるのはわかるんですが…。

一方で学生の学力低下の問題。学生数が 減ってるので大学に簡単に行けてしまう。その結果, 分数の計算が出来ないような学生が大学生になるという 問題です。まぁ,でも分数が必要か?というとそれは 疑問で,時代とともに必要な知識は変わってますから, 変わりに別の能力があるならいいようにも思います。 つまりは,今の時代に本当に必要な知識はなんだろう? という話しもある気がします。 高校までに十分に基礎学力をつけてないという現状と, 大学に大量の人が行くという現状を見ると,一般 教養の教育の場としての大学が必要か?,という 議論なのでしょう。

こういう状況をみると,大学の機能が教育研究の両方があること,そしてそれぞれに 求められるレベルが,教育は低下し,研究は 高度化して,乖離していることが問題のような気もします。 そして,一つの大学で両方の機能を持って, また,すべての単位を一つの大学で得なくては行けない ということも問題な気もします。 二つの機能を別の大学に分離するという手もありますが, 大学という単位が果たして必要なのか?,という 疑問もあります。私立では大学間による 単位交換,つまり他の大学の授業を受けても 単位になるというのがありますが,こういうものを もっと進めて,いっそのこと大学は単なるフランチャイズ という程度のものにするという手もあるのではないか?, という気もします。そうやって,大学の余分な部分を より減らし,優秀な人はよりいい授業(先生)を受けられる 様にしたほうが,いいのでは?,という気もします。 一方そういうなかで,研究に対しては研究すすめる 大学で十分に時間をかけるようにしてもいいし,いっその こと大学から切り放し,研究機関的なものにする手もあるのかも しれません。その場合,学生が行けるようにもしなくては 行けないでしょうが。

と,いろいろ書いてきましたが,実は大学が合併 するという話で,「じゃぁ大学というもの自体を なくせばいいじゃないか」と,ちょっとやけ気味に 考えた部分もあります(^^;)。とはいえ,単に学生が 減って,経営が大変だからという理由で,合併するので あれば,同じようなことは,また別の未来で, ありえるわけで,どうも根本的な解決になってない 気がしたわけです。TVをみると産業の方も毎日「構造改革」とか 言ってますが,「無駄を省く」ということと「国際競争力」と いう点と,相反する部分があり,単にいろんな 機関や大企業を市場で鍛えるという,なんとも投げやりな やり方で本当に大丈夫か?,と思ったりします:-p。

市場原理という器にまかせるには,ある程度しっかりとした器 をまずは設計する必要があるわけで,つまりは, どういう方向に走らせるか?というポリシーを,まずは 考える決めないといけないのでは?…と思ってしまいます。 で,ないと痛いだけで終わってしまうので…。


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'01 Jul. 7th


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