「2011年」を振り返り…。
2011年もすっかり独り言を書かずまとめるようなことは無いのですが, 折角の年の瀬なので一年を思い返してみます。日記にそのつど いろいろ書いてるので,まりまとめて独り言にアップすることが ほとんどなくなったなぁ。日記で書いてることから整理して いくつか挙げたいとはおもってるのですが。
世間的にはいろいろあった一年でしょうし,わたしの客観的な 出来事もいろいろあった年ですが,それでも私自身は,自分の 子供の一歳という一年を見ていろいろと考えた年だったと思います。 例の地震と原発だって自分の子供への影響や,今後の影響として 考えざるを得なかったし,自分の病気のことも,子供が成人するまで 自分が健康でいれるだろうか?という観点で見てしまいます。この年は 夏に職場の異動と住まいの引越しがあったのですが,子供の生活環境, そして妻も含めて周囲との関係とか,やはりいろいろと考えた一年でした。
家庭を持つと,そういう意味で世間とつながるということで,やはり独身時代や 子供がいなかった頃に比べると,地に足が着いてるという感覚が強まりますが, 一方で現実の深刻さも身にしみてわかるというか。というわけで,子供のこと とは書きましたが,他の項目も少し書いてみます。
わたしの病気
ここ数年ずっと書いているわたしの病気の件。この年は術後5年目ということで 一つの区切りを迎えました。無事5年目の再発なしということで,定期健診を 終了。寛解ということになります。再発のことはとりあえず考えなくて いいんだろうか?。それともある程度は気にしなくてはいけないのだろうか?と そういう疑問は残ります。
まぁ退職までは会社の人間ドックに行くので,年一回はCTやエコーである程度 様子がわかるという意味では,これでやっていくのだろうなとも思います。 でも,今回のドックは折角ガンの再発の恐れがなくなったのに,膵臓の 能力が落ちてる(簡単に言うと糖尿病予備軍になってる)といわれて,心配が なくなったらコレカヨ…orzという気分です。おかげでというか,9月から 毎朝のラジオ体操と週二回の軽いジョギングを始めて,とりあえず3ヶ月は 続きました。これで正常に戻るといいなぁ。
余談ですが,年末に実家に帰ったら,5年前の手術の説明をわたしと一緒に 受けた母親が,わたしの主治医からガンだったら100%死ぬと言われていたと 言い出してビックリ。いや,その説明わたしも一緒に聞いていたのに,そんな 覚えありませんって。というかそういう風に言われていたという母親の 認識さえ初めて聞いたのだけど,どこかで記憶が摩り替わってるんだろうか?。 ただわたしの膵臓のがんは膵内分泌腫瘍で,手術前からそうだろうとは 言われてました。いわゆるすい臓がんではなく,もしかしたらすい臓がんなら 助からない…ってことは言ったかも知れません。それをそう取ったのかなぁ。
さて,5年経ち寛解ではあるものの,お腹の切り傷や背中の張りなどは残っており, つまりこれはもうこれから付き合っていくべきものなのだろうという 気がしてます。これから歳をとるとむしろこういうのって顕著になって いくんじゃないかな。ここ数年時々ぎっつり越しになるのですが,この年は 震災の時無理をしたのもあり,2月から半年くらい痛みが残るという結構 悲惨な状態でした。
というわけで,命の危険を感じることは減りましたが,いろいろと老化とか 感じるこのごろで,子供がこれから力を増して,遊びに付き合わなければ ならないとなると,大丈夫だろうか?という不安は募ります(^^;)。 なんか年老いた親でごめんなさい…って感じだよなぁ。
最後に,わたしの病気である膵内分泌腫瘍。同じ病気とずっと 前から知っていたスティーブ・ジョブスが亡くなったということで 膵内分泌腫瘍の話題がネットや雑誌で増えたのが意外でした。 日記にも書いたのですが,ジョブスはわたしの病気がわかった時に, 自分にとっては元気になっているいい先行事例だったので亡くなったのは 結構ショックでした。
仕事と暮らし
冒頭に書きましたが,仕事の異動があり,7月から横須賀勤務に なりました。結構晴天の霹靂という感じではありましたが,まぁなんとか なってます。一番悩ましいのがこの異動はどういう位置づけなんだろう?と いう事。経験上もう少し異動ってなにか意味合いが見えるものだけど…。
前年に書いてましたが,そろそろ今後の身の振り方を考え行動しなければ いけない時期。それに関しては,進展があった部分と,かえって遠のいたの では?と思う両面があり良くわからない状況になってます。
住まいのほうは夏に節電で会社も長期休業があったりとかもあり, 引越しは9月末に。約3ヶ月片道2時間半の通勤をしました。結構しんどかったと いえばそうです。新居の横須賀は,独身時代に2年間住んだ場所で, 慣れてはいるけど,まぁ杉並や武蔵野は好きで住んでいた土地なので, それに比べるとちょっとなぁと思います。まぁでも家族で住めばまた いろいろ違うことも思うでしょう。それに関してはこれから。
子供と暮らす
子供は一歳の歳を過ごしました。正月には立てなかったのが,今は 元気に走り回るようになりました。言葉もだいぶしゃべれるようになり, いろいろ主張するようになりました。赤ん坊というより少し子供という 感じになりました。子供の変化はすごいなと思います。
子供と一緒にすごすのは楽しいです。いろいろ大変ですが楽しいです。
遊び
週末は子供と遊ぶというので手一杯で,あまりその他の遊びを しなくなりました。だけど特に不満はありません。まぁ昔のことを 思い返すと,昔の趣味を続けたいという想いもありますが,子供と 遊ぶのも今のうちだけというところもあるし,趣味のほうも腕前の 上達を目指していた若い頃とも接し方が違うというのもあるでしょう。
ただ今年は後で書きますが,古い知人と再会する機会が多かったので, 飲みにいくとかいろいろ広がる可能性があるところで,ちょっと すべての会に参加しにくい(というかその気にならない)のはちょっと もったいないかなぁという気はします。まぁでも本人がいいと 思ってるからいいのですが。
子供と一緒に遊ぶのに手一杯とは書きましたが,それでも夏に久しぶりに 旅行に行ったという意味では,世間一般でいう家族もちのわりには 遊んだのかもしれません。しばらく実家と住まいくらいしか往復して なかったのですが,今年は会社が長期休業になったのと,節電とかの こともあったので,涼しい北海道に行こうと,初めて夏の北海道に 親子で行き,ドライブの旅行をしてきました。子供はたぶん覚えてないでしょうが, 夫婦では楽しめましたので,良かったと思います。
音楽
今年はライブも数回しか行っておらず,楽器もほとんど触っておらず, 音楽的には何も出来なかったかなとい感じ。CDもあまり聴く時間もなく, 子供が好きな音楽ばかりを聴いてました。まぁ仕方ない。
人付き合い
高校の同窓会が初夏にあり,幹事をやったこともあり,年明けから 毎月の様に集まって打ち合わせと飲み会をやってました。結果的に とても人脈が広がりよかったです。それにあわせFacebookもはじめ, 今もいい感じになってます。
それと私自身が会社での人生に終わりが見えてきたというのもあり, 古い人脈を大事に繋げていこうという気になってます。いつどこで どういう風にまたつながるかわからないので。
震災と原発事故
震災について書くと,震災が起きた時わたしは都内に出張中で, 結果的に数十キロを歩いて帰るという帰宅難民的なことを やりました。終わってみればそれ自体はたいしたことないのですが, やっぱりその後の原発事故の方がいろいろと生活を一転させました。 というか世間一般的に原発事故のせいで震災の災害自体があまり 話題にならないのは気の毒に思います。
原発のほうは,うちは子供が小さいため,今後ものこともいろいろと 気にかかるところです。ただおきてしまったことはもう仕方が無い, 今は事故を早く収束させて(まだしてないと思いますよ),被害を受けた 人々の保障を出来るだけして,そして今後の日本のエネルギーを どうするかということなんだと思います。これは誰の責任であろうが, 結果的に日本人すべてが負うべき部分があると思います。
この話はあまりここでは掘り下げたくないので,この辺で。
まとめ
というわけで,2011年はいろいろあった年になりましたが, 子供の一年を一緒に歩めたということで,それ自体は喜びの 多い一年でした。まぁ引越し,震災は家族にも負担をかけたので, 2012年はそういう苦労が少ない穏やかな一年になるといいなとは 思いますが,いろいろ気が抜けない問題もあるので,手堅く やっていきたいと思います。