労働と豊かさと…

働くことが幸せか?

いきなりですが,どうしたら幸せになれるか?と 考えることはありますか?(^^;)。もちろん幸せの定義は いろいろですし,人によっても様々で,簡単に書くことは 出来ないのですが,幾つかある自分が幸せな状態という 中に「好きなことだけをやって生きていける」という ものがあります。

以前に比べて現在の私は結構好きな仕事をやっているので こういうことを書くのはぜいたくかも知れませんが, 私には仕事以外にもやりたいことがたくさんあって, 出来れば仕事は最低限にして,その他のやりたいことを やる時間も十分に欲しいと思ったりもします。

もちろん働くこと自体が好きという人もたくさん いると思います。私も好きな事を仕事にしている以上, 仕事をするのも楽しいんですが,私の場合は やってることが楽しい。しかし中には会社で 出世することが楽しいとか重要な仕事を するのが楽しいという人も多いでしょう。 そういう人は,働くこと自体が好きなのかも 知れません。しかし,もし働かずに好きなことが 出来るのであれば,それでも働きたいという人は どれくらいいるのでしょうか?。

豊かになるには働く必要があるのか?

人間の行動は「快感(楽しさ)を求める」ために するものと「不快感から逃れる」ためにするものに大きく 二分できる…,というのが私の持論です。 そして,前者の方がやってるときは楽しく,後者は 仕方なくやってるのではないかと思います。 「豊か」とか「幸せ」というのは, 自分が快感を求める行動が多くを占めてる状態では ないでしょうか?

この仮定に従うと,働くこと自体が楽しい人はある意味働くことによって 豊かになりますが,食べるために仕方なく働いている 人は,働いても豊かになりません。もっとも,働いて 稼いで,それで楽しいことをやるという事が頭に イメージされていたら,楽しいと言えますが。

しかし,自分がやりたいことが,お金がありさえすれば 出きることではない場合,別に働いても豊かにはなりません。 むしろやりたいことをやる時間が奪われて行くとも言えます。 かって日本が貧しかった頃は,豊かさとは十分に食べれる 事を示していたのかも知れません。しかし,今はホームレスや フリータでも食べることは可能です。

このような時代に,長い通勤時間をかけ,遅くまで 働いて夜遅く自宅に帰るような生活というのは, 果たして幸せや豊かさに近づく行動なのか?, そういう疑問が,私には付きまとっています。 特に最近は不況と言われ,失業者も増加していますが, 一方で忙しい人は物凄く忙しい時代になってるような 気がします。忙しい人は不況から逃れようと仕方なく 忙しくしているような気がします。

インフレ

近代の日本の経済を振り返りますと,ずっと インフレで来ている気がします。給料は 年々増えて,国民総生産や国家予算も増えてますが, 一方で地価や物価も上昇しています。給料の 額面は増えているのに実際に買えるものは 対して変わっていない気もします。以前から 仕事をしていて毎年給料が上がると,それなりに うれしかったのですが,一方で物価が上がっているのを 見ると,もしかしたら自分達の給料が上がっているので 物価も上がっているのでは?と考えざるを 得ませんでした。

デフレ

一方最近の不況で急激にものの値段が落ち始めました。 ものの値段や地価が下がり安くものが手にはいるように なりましたが,一方でその安い製品は,海外からの 輸入品が多く,つまりは日本人の仕事を減らす結果に つながるわけで,こういうものが主流になると ますます失業者が増えることが予想できます。

「安いものを買ってくればいい」という考えは, 買うお金がある場合有効ですが,買うお金を得るためには 自分達で稼ぐ必要があります。そして稼ぐためには 働く必要があり,国内から仕事を減らしていけば, 最終的には海外から買ってくるお金が無くなると 予想されます。

また海外のものを使わない場合でも,ものを安くするために 働いている人の給料などを減らしている場合もあるわけで, 結果的に物価は下がったが給料も減ったという状態に なるようにも思います。

このようにデフレとインフレの状態を考えると, 結局のところ,その状態から感じる印象は違いますが, どちらもゴールのない自転車操業な気がします。 つまり給料が上がっていっても,物価が下がっていっても, 豊かになるわけではありません。

経済格差は必要悪か?

このように国内で暮していると,物価下がろうが, 給料が上がろうが,生活の豊かさは変わらないのですが, 一方で海外に行くと事情が変わります。海外は日本とは 経済の格差がありますから,日本より通貨が弱い国に行くと, かなり自分がお金持ちになったような錯覚を覚えますし, 通貨が強い国に行くとお金がない気になります。

しかし,それは外貨を持ち込んだ場合であって,実際に 自分がその国で稼げばその国で暮すためのお金が得られる はずです

つまり,通常閉じた社会では暮すために必要なお金を 稼げるというバランスがあるのではないでしょうか?。 そして,もし日本や欧米の様な国が,他の諸外国よりも 豊かな生活が出来ていて,暮すこと以上のものが 十分に買えているとしたら,それは,経済 格差のおかげかもしれません。もしそうだとしたら, 日本にとっては経済格差は自国の豊かさのために必要 であって,もし他の国が豊かになれば,その分 日本は豊かでは無くなるのかも知れません。

収支バランス

ここまで書いてきたようなことを,ここ数年ずっと 感じ,考えてきました。どうも働いても豊かになるわけではないし, 他国の貧困の上に乗っかっている自国の豊かさというのも どうも気持良くない。結局収支のバランスというものは 取れるように出来ているのであれば,みんなが 「ガツガツと働かずに,それなりに暮せる社会 」というものは無いのだろうか?,それはどこかに 実際に無いのだろうか?,と思ってきたわけです。

そう思い出すと,何となく戦後のインフレの社会が どうも異常な気がしてきました。しかし,実際に どうやったら私が思うような社会がうまく回っていくのか?, というのがイメージできません。イメージできなければ, 単なる現状の批判に終わってしまいます。 過去他の国に具体的にそういうことが 実現できていたことはないだろうか?,などとも 考え,「江戸時代には働きすぎることが悪だった」という 話を聞いたり「社会主義経済」とはどういうものだったのか? などと考えたりしました。 社会主義は資本主義に破れ,江戸時代の経済も産業革命に よって過去のものになりました。しかし資本主義がインフレと 国際経済格差によって支えられているのであれば,これも いずれ限界が来るであろうし,実際に幸せになるという 意味ではすでに目的を達成できていない気がします。

アメリカ的経済モデル

今までの日本の経済というのは産業革命から始まった 資本主義の経済でしょう。もともとはヨーロッパから 始まった経済モデルでしょうが,現在はヨーロッパは 多少路線変更しているようにも見えるので,その典型は アメリカのような気がします。

これは現在の不況を定義しているのも,この経済自体ですから, 物価や株価や総生産で経済状況を測り,そして経済が 豊かさを表していると考えていること自体が, その経済モデルにどっぷりはまっている気がします。

このモデルでの豊かな状態というのは,株価や物価が 上がり続けるというかってのバブルの様な状態ですが, しかし,当時を思い返しても,別に豊かになった人が ゆったりと自分の時間を過ごしていたわけでもなく, やはり,夜遅くまで働き,たくさんのお金を得ても, 結局はあまり必要ではないブランド品や, 贅沢感をあじわうためだけの単に高いだけの 飲食をしていただけの気がします。

そう思うと,この経済モデルでの豊かさというのは 別に(私が考えるところの)幸せな時間を作り出してくれる ものでは無いように思えるのです。

オランダ型経済モデル

そうやって,アメリカ型経済に疑問を感じながらも, どうすればいいのかがわからないで悩んでいたところ, 最近オランダの経済の状態を本で読みました。

オランダの経済について簡単に書くのは難しいので, 出来れば,何か本を読んでいただきたいのですが, あまりにも日本やアメリカの経済の考えたかとは 異なってます。いや経済と言うより国家とか社会の 考え方自体が異なっているようです。

オランダの経済改革は80年代に始まったのですが, その最初は,経済界・政府・労働組合がある合意を したことがから始まります。それはそれぞれが, 「雇用は確保する」,「減税する」 「給料あげない」,という事に合意したわけです。 そして,パートタイムとフルタイムの労働者の雇用条件を 同じにして,一日の半分しか働かない人も正社員として フルタイム働く人と時間あたりの給料が同じになりました。 こうやって,ワークシェアリングの考え方を 元に雇用を安定させ,かつ,各人の余暇を十分に もてるようにしてきたわけです。

給料は上がらないかも知れませんが,減税などにより 出ていくお金も減る,そして雇用は確保される。 適度に働き,余った余暇があれば,そちらの方で また市場が生まれたりもする,という風に回っているのかも 知れません。 オランダでは夫婦二人で1.5人分働くという考え方が あるそうです。

成熟した国民性

その他にもオランダは,日本の社会と多くの違いが あります。国民の自主性を尊重し,他の国では 禁止したり縛ったりしていることを,容認している 事がたくさんあります。 また,海外からの人をたくさん受け入れ,5年いるだけで 参政権が得られる等といった点もあるようです。 しかも,海外の人を受け入れるからといって, オランダに無理になじませるようなこともさせません。

国が国民を管理しない変わりに,それぞれのコミュニティが あり,そこの代表が他のコミュニティと折衝して, 共生していくという考え方のようです。 これは,ある意味エリートがきちんと自分達の 責任を果たしているという社会のように思えます。 実際に国民一人一人が正しく生きていけなくとも, そのコミュニティがサポートする,そしてメンバーは そのコミュニティを代表するエリートを信頼している というものなのかもしれません。

そうだとすると,これは私が以前から漠然と思っていた, 多様な文化が共生できる社会を具現化したもの 様な気がします。

実際にオランダで起きていることは,行って肌で 感じてみないとわからないと思うのですが,もし想像 しているような社会が出来ているのであれば,それは やはりすごく成熟した社会のような気がします。良く日本が ヨーロッパに「日本人は未熟」と言われるようですが, だったら仕方ないかも知れません。日本人は,エリートを ネガティブな印象で捕らえているくらいですから。

そういう意味で言えば,現在オランダをはじめとする ヨーロッパで起きてるような経済のモデルは,その 成熟した国民性故に可能な事なのかもしれません。 そうだとすれば,まずはそこが変わらないと,そういう 経済のやり方も出来ないことになります。 それは,すごく大きなパラダイムシフトが必要なのかも しれません。

自分にとっての幸せと豊かさとは

最初に書いた通り,人にとっての幸せは異なります。 しかし,少なくとも私はのんびりと好きなことをして 生きていくのが幸せだと思っています。そしてそれを 何の心配をせずに生きていけるのが豊かさだと思ってます。

不快な事とは無縁で,楽しいことだけを追い求める, そういう事が出来れば,いいなと思います。そしてそれは 決してたくさん働いて,たくさん稼ぐだけでは 得られないものだと思います。

終わりに

私は経済ついては素人です。今回の文章は全くの 素人が,良くわからず,勝手な思い込みで書いたものです。 しかし「幸せを感じる」ということについては, ずっと考えてきて,人は本来幸せを感じるために 生きているのに,いつの間にかそれを忘れてしまっている, というのが,どうも現在多いように思います。

幸せについて考えるために,思想とか宗教も調べたり しました。幸せを得るために, 出家したりするのもいいのですが(笑),どうも それはみんなが出来ることではありません。

そして,どうしてそういう社会になってしまったのか? 幸せな社会は実現不可能なのだろうか?,とずっと数年考えて 来ました。自分が社会人である以上,仕事について, ある程度稼いで暮していかなければいけません。しかし その働く社会が,どうも豊かさから自分を遠ざけている 気がずっとしていて,どこかにその回答はないのだろうか?, と考えてきました。 日本人のサラリーマンはだいたい一日8時間を基本として 働いていますが,一体この時間は何が基準なんだろうか?, 海外には確かに日本ほどものが豊富ではありませんが, 日本人の半分以下どころか,ある特定の季節にしか 働かない人もいますし,一方で日本人より働く 人たちもいるように思います。 日本人は,何となく働けば働くほど収入が増えて生活が 楽になると思っているように思うのですが,どうも そうじゃない気がしてきたのです。そこそこ働いて そこそこの生活をして,あとはやりたいことを やる時間がたくさんあるような生活は出来ないものだろうか?, そう考えるようになりました。

自分が漠然と思っていた社会に近いものが,どうやら ヨーロッパのあるところにはあるような感じのことを 知ったので,現時点での考えというか,ほとんど問題定義 なのですが,書いてみました。

ここで一番言いたかったことは,「働けば働くほど 幸せになれる,という考えに疑問をもってみませんか?」 ということです。そんなに長くない人の一生。気が付いたら 何も楽しいこと無く終わってしまったということにならないように…。


一人言のページへ戻る


01 Jul. 23th


(C) 2001 TARO. All right reserved