記録と思考

はじめに

最近の私は記録魔である。思いついたことを, 何にでもいいから,すぐメモする。だから私が読んでいる本とか メモだらけである。

メモることとはどういうことであろうか?。疑問があった。あと 写真を撮ること,ライブなどを録音すること。考えていたが, 長く考え過ぎて,賞味期限が過ぎてしまった(笑)。 が,幾つか試したこともあるので,書くこととする:-)。

忘れることの恐さ

メモというのは,このWebPage自体もそうだ。“ひとりごと”に 書いているようなことなど典型である。私は小学生頃とか 日記をつけるのは苦手であった。しかし今は書かずに入られない。 それは,「いま考えていることを忘れて,なかったことになる のが恐い」からであろう。あと書くことで,明確にしたいという のもあるのかも知れない。

子供の頃,私は「大人は子供の気持ちがわかってない。自分が 大人になった時に,今の気持ちを忘れないようにしよう」 というのを,思っていた。が,何についてそう思ったのかは, 既に忘れている(^^;)。

忘れることというのは必要なのかも知れない。でも,今, 思っているを憶えていたいというのがあり,だから書くのだ。

#話がそれるが,正月に姪を見ていて,子供の頃のことをまた いろいろと考えていた。

記録することによる思考停止

この様なページを書く際には,過程がある。ある考えが浮かんで, しばらくその考えが頭から離れない。数日,いろいろ考えて, 文章化することが多い。

が,文章化すると,考える欲求がかなり収まるのである。別に 解決してなくてもである。

書くことにより,自分の中で収束してしまうようである。でも 書かないと,忘れてしまう。難しいものである。

カメラに見てもらう

もう一つ別の話。私はせっかちな性格なので, 観光旅行とかしても,じっくり風景などを見ない。 更に写真とかをとると,もっとひどい。目的の場所にいって, 写真をとって,すぐ帰るだけというのをやってしまったことが, 多分ある(^^;)。先日ある展示会で,展示をしていたら, ディジタルカメラでとってだけ,ほとんど自分の目では見ない, という人がたくさんいた。折角見に来たのに。

なんか,写真にとることに安心して,目で見ることが 雑になってるような気がした。実はライブなどを録音する場合も, その際,聴くことが少し雑になってるような気がしていた。

だから段々写真にとるのに抵抗を感じるようになった。ライブを 録音するのも。

“かく”こと

この冬沖縄にいった。その件については沖縄旅行記98 に書いている。書いてるように,この旅行では,目で見ることに こだわった。なんとかそれを強制的に実現したかったので,スケッチを することにした。

結果は,かなり良かった。後日絵を見るとシーンが浮かぶ。 浮かぶシーンは,同じ視点でとった写真より見た時に印象に 近い。考えてみたら描くというのは,一旦自分の中に はいったものを自分から出しているわけだから,自分の 心の状態なのだ。そういう意味では,文章を書く ことに近い。 もちろん弊害もある。描くために形に捕らわれすぎるのもある。 でも,目で見た時の心の状態を残すという意味では いいと思う。

音の場合,どうすればいいんでしょうね(^^;)?

心の中のこと示したい

感じるのは自分である。写真だって決して正確に世界を 映し出しているものではない。写真を見て,その対象を 目で見たのと同じになるのは,まだまだ無理だ。 録音だってそうだ。

だとすると,ある意味,写真だけ残しても仕方がない。 それよりその時の心の状態を残した方がいいのではないか? また人に何かを伝える時も,心の状態を伝えた方が いいのではないか?。

ちょっとまとまりなかったね(^^;)。


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99 Jan. 5th


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