誉められる快感という落とし穴

人間がもつ誉められると心地好く,怒られると不快であるという 性質は生来的な性質ではないか?…と思います。人間は 生まれたときから親の感情を読む能力を持ってます。 それでいろいろ学習していきます。したがって周りの人(親)の 感情に振り回されるのは生来的で,したがって誉められることと 怒られることにもかなり振り回されるのでしょう。

ちなみに自我の形成とはその他人とつながっている部分を徐々に 引き剥がしていく作業のように思いますが,その話は今回は おいておきます。

さて,その誉められることと怒られること…,わたしはこの「 誉められるとうれしい」という感情は非常にやっかいだなぁ…と 思うのです。なぜかというと誉められることによって正常な 判断を失うからです。まぁ誉められているという状況では 正常なのでしょうけど,それより大きな視点で見ると間違いで ある場合があるということです。

そしてそれがなぜやっかいかというと,怒られて仕方なく行動する場合と 誉められてついつい行動してしまう場合を比べると,前者は 自分が仕方なく行動しているという意識があるのに対し, 後者は自分が相手によって強制的に動かされているということを 見失いがちだからです。不快感(叱られる)で身につけた 性質はトラウマになるので,そこまで行くとやっかいですが, 快感(誉められる)で身につけた性質も,なかなかなぜそれが (いけない場合)いけないことなのか?って事自体を考える ことができません。

こういうことを思うようになったのは,俗っぽくて恐縮ですが(笑), だいぶ前にソニンが裸エプロンの格好でジャケットを撮ったときの 話で,「最初そういう格好をしているのをためらっていたが, 撮影が進むに連れて,どんどんのってきて,最後は自分から ポーズをつけていた」という話を読んだあたりです。その撮影の シーンでカメラマンや周りの人がそういう格好をする本人を 誉め称えたのだろうなぁ…という図が想像できたからです。 こういうシーンを想像していて,AVの撮影とか,はたまた アイドルの水着写真の撮影とかもそうなんだろうなぁとか 想像もできます。まぁアイドルの撮影とAVの撮影を同列に 語ると怒られるかも知れませんが…。でもああいう撮影は いやがる本人を無理やり…というのではなく,たぶん逆で 本人をおだてて誉めてやってるのだと思います。だから 辞められない。それでもって親とか他の人に知られて, 怒られて,はじめてハッとするというか,もしくは, 何でいけないのか?…と思ったりもする…,そんな感じでは ないでしょうか?。

最近のコスプレとかで結構キワドイ格好とかをする 女性とかをみていてもそう思います。人間おだてると かなりのことまでやってくれます:-)。

AVの撮影で親を泣かすくらいなら,まだ価値観の違いで 片付けられますが,犯罪とかも同じような構造で行われる可能性が あります。カルト集団による行き過ぎた反社会的な行為も 偉い人から無理やりやらされるのではなく,ある指示に従うことにより うまくやると,周りが誉めてくれる…,そういう構造で どんどんエスカレートしていくのだと思います。

また,先日新聞にコンプライアンスへの取り組みが重視される世の 中なのに,新入社員に意識調査をすると良心よりも会社の指示に従 うという人が増えていた…という記事が載ってました。これも結局 従来の価値観や法令という物差しよりも,周りの誉め称えの方にし たがってしまうのでしょう…。

今回のイラクの人質騒ぎについてもたぶん戦場に乗り込んで 行った人達は,行く前は周りの人に誉め称えられて( もしくはそれをイメージして), それがどういう結果を招くかを考えられずに行ったのでは ないかと思います。だから帰ってきて非難の嵐だった ギャップに耐えられないのでしょう。

日本の戦時中(いまも戦時中か)の特攻隊も,特攻隊に 志願した人達は,そうじゃない人達より輝いて見えて 羨ましかった…という話とかも聞いたことがあります。 こういう構造は至るところにあります。

始めに書いたように誉められることによって行動することは, 自分がコントロールされていることに気づきにくく,それゆえに 洗脳的ですらあります。いえ洗脳の手法として使われているんでしょう。

叱られることに耐えるにはココロに殻をつくって防御するとか,ココロを 自分から切り放すということによりできます。幼少の頃から それやってると,歪みますが(後者は多重人格の原因ですよね)…, 不快に対する耐性をつくるということですから,その事自体で つらくなることはあまりありません。 しかし,誉められてコントロールされることを避けるには, 誉められることに対して懐疑的になるということになり,つまりは 世の中を斜にみてしまう,ってことでつまりは自分のココロを 枯らしてしまう…ということであり,それは他の楽しいことも 感じられなくなります。そういう意味でやっぱりやっかいだと 思うのです。

わたしはあんまり人の価値観に振り回されない様にしているので, 自分の行動を決めるときに周りの目をあまり考慮しません。 そんなわたしでも,やっぱり誉められるとうれしいだろうな…と 思ったりもします。だからやっかいだなぁ…と思うのです。

誉められることに懐疑的になれ…といってるのではありません。 それはわたしの主義 (わたしの行動指針は避不快ではなく,求快です) とも反します。ただやっぱりそういう側面があることも 忘れてはいけないんだろうなぁ…と思います。

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04 Arp. 30th

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