国家と人(個人)

はじめに

今年8月,日本では住基ネットが運用されはじめました。 住基ネットの構想は去年から法律として成立していましたが, まぁマスコミ的な都合か:-p,運用寸前になって,大騒ぎ。 そのどたばたでいろんな人がTV,新聞やWebやメイル等で, この住基ネットというものについて語っておりました。

私自身は自分の住民票情報が電子化されて日本中の役所が 利用できる…というコンセプトには特に異論は無いのですが, セキュリティという面で不安があります。が,それは杉並区に すんでいるので:-),他のところの様子をしばらく静観できます( 無責任^^;)。それともう一つ役人による情報悪用を危惧する人が 多かったようですが,現状の役人の守秘義務に加えて,法律的に 整備しなおして欲しい…というのはありますが,公務員法を調べて いるわけじゃないので,適当な事を言って恥じをかきたくないので, それもやめておきます(^^;)。でも不安はありますけどね。

というわけで,住基ネット云々の話はまぁいいんですが,今回は この話の中で,「国家」と個人との関わり方がどうあるべきか?, というのが人によって違うのだな…と感じました。また終戦の日前後の こともあり,国家の争い(戦争)と国民の事とかもちょっと頭に浮かんだので, 書いてみます。

といっても,別に私自身が国家論とかの専門でもないので,まるっきり 素人な思いを書き綴るだけです。ご容赦を。

国家と個人との関係

住基で騒いでいる人の話を聞いたり読んだりしていると,文句を言う人は ほとんど「国が…」といったり「役人が…」と言っている 様です。個人レベルの役人の話と組織としての国家との話をごっちゃに して考えるとややこしいだけなので,わたしは前者の話は省きます。

ただ,前者の視点で話している人の中には「役人は悪いものだ」と いう雰囲気があって,それはそれで本当に悪人は悪い…ということよりは, ひがみだったり,もんくを言っても怒られないから言ってるって いう感じも入り交じってる気がしないでもありません:-p。

さて,組織としての国家という意味で言うと,「そもそも 国家は国民から搾取するものだ」という考え方があります。 確かに歴史的に考えても役所が最初にできたのは,徴兵と徴税の ためだった気がします。そういう意味で考えると,国が国民一人一人に 奉仕するものだ…という考え方が,本来の国家の役割からすると ハズレている気がします。

国家の成立

ではなぜ国家というのは成立したのでしょう。そういう 搾取するだけの国家を民衆は認めたのでしょう?。

一つは共同作業のために自治体が必要になり,それが発展したという 過程があるでしょう。一人一人が食べ物を採ったり作ったりしているだけじゃ, 大きな獲物を捕まえたり,灌漑用水を作ることはできません。 そこで,みんなで集まって,その集団のために作業などを行う。 それが発展して自治体になるというものです。

小学校の学級委員をみればわかりますが(笑),人は意外にリーダ役というのを 他人に押し付けようとします。ですから,自治体が出来たときに みんながリーダになりたがったというよりは,だれかに委任した という流れだったのかも知れません。そういう意味では, 現在の議員や行政長の選挙も同様です。そして,押し付けたわりに, そういう選ばれた人への不信感があったりするところも奇妙なところです。

そして自治体がある程度大きくなると他の自治体と争うように なる場合があります。そうして戦争をし勝った方が他方を吸収し 拡大していきます。勝った方は自分の自治体が大きくなっただけですが, 敗けた方は,しらない人たちに支配されることになる場合もあります。 そうして搾取されていきますが。そこで,逃げ出さないのは,どこかの 軍事力の庇護に入った方が安全だから…という事なのかもしれません。

そういう意味で言うと,国家というのは民衆の安全と公的な 目的達成のために徴税・徴兵されるもので,別に民衆に サービスをするためものじゃないのかも知れません。

こうやって沢山の自治体同士がくっつき大きくなり,更に 組織化して国家になっていくのですが,先日読んでいた によると,アイヌやアメリカ先住民には国を作るということがタブー視されて いたような部分があると聞き,ちょっと驚きました。 自治体が大きくなることを避けたり,複数の自治体が共同作業をするとき トップを据えることを嫌うということらしいです。

しかし,これだとどうしても国家相手には戦争できません。 それゆえに滅んだとのことです。

行政サービス

さて,国家の本質がそういうものであれば,ではなぜ現在は 行政サービスという概念のがあるのでしょうか?。 行政サービスが悪いという人もいるけど,そもそも 行政とはサービスをするものなのでしょうか?。行政は サービス業だ…という人もいますが。

行政にサービスを要求するっていうのは一つの手ではありますが, どうもなにかごまかされている気がしてなりません。 というのは,一方で規制がきついという意見があり, 一方で国に何とかしろという意見があります。 例えば新しい業種に新規参入しにくいから規制緩和を 要求する一方で,ある業種で不手際が多発すると監督省庁になんとかしろ という口調になります。 これって相反する話なのになぜか同じ人が両方いうわけです。結局 人々は管理された安全な社会を望んでいるのでしょうか?, それとも自由な社会を望んでいるのか?。

つまり行政サービスを充実させることを実現させるには, 行政にお金や権力を集める必要があります。しかし先に書いた通り, 行政はそもそも搾取のみを行うという考え方だと,それを 大ぴらにいうには今は非常にやりにくい時代です。ですので, あたかもサービスをするというごまかしで行政に力を 集めているのかも知れません。

この話のもって行き方から感じられるかも知れませんが, わたしは現在は行政サービスの充実より自由の方を 重要視してるように思います。しかしこれも自分が若い からかもしれません。

世界平和と国家

話を変えます。はじめに書いた通り,住基の話以外に, 戦争の話です。

現在は,みなさんご存じ様に,アメリカが自分達が認めない国と 今にも戦争を起こしそうな雰囲気になってます。あと世界の あちこちで地域紛争が起きています。どうも冷戦の時代より 物騒な世の中になっているようにも感じます。

わたしはアメリカが自分の国の都合を世界中に押し付けようと しているこの現状は我慢が出来ないくらい嫌です。しかし 一方で明治以前の日本を見ると軍事国家(武家政権),宗教国家 (天皇政権)などいろいろありましたが,結果的に中央集権に 成功した政権の方が長い政権を実現しており,あたかも 太平の世を実現しているようにも見えます。ある意味 江戸時代は究極だったとも言えます。

だとすると,共生の社会というのは太平の世を作れないのでしょうか?。 どっかの国が中央集権をした方がいいのでしょうか?。 しかし日本の場合と違い,世界の場合は多民族で経済レベルも バラバラですから,そういう中でも中央集権は差別が発生する 気がします。そういう意味ではいま世界中を中央集権化するという アメリカのもくろみはまだまだ早すぎると思います。 ただ,ある意味現在の国際社会は,日本の戦国時代のようにも 見えなくもありません。

さいごに

いろいろ書いてきましたが,結局のところ,わたしには 行政と個人との関係,また世界の国家の在り方という 複雑な問題は,まったく手に追えません(^^;)。 どういう形が理想なのか?…というのすらわからないと いうのが本音です。 実際歴史的にみても国家論というのは時代で変わっていて 何が正解なのかはわからないのでしょう

ただ,現状マスコミから流れてくる情報だけから,なんとなく 行き当たりばったりで国や外国に不満を述べていても,逆に 自分の思ういい社会というのが何なのかがわからなく なる気がして,それで,そもそも論から,振り返ってみました。

いずれにせよ,わたしが子供の頃流れいた,「あかるい未来 が待っている」というような雰囲気は既に無くなっています。 国家にせよ,技術にせよ,思想にせよ,どこに向かっているのでしょうか?。 まだまだ模索するしかないのでしょうか…。

文献
日本人は思想したか
吉本隆明・梅原猛・中沢新一【著】(新潮社)

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02 Aug. 19th

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