情報化社会がもたらすもの

はじめに

疑うまでもなく,現在は人類有史以来もっとも情報が あふれている社会であろう。現在我々はあらゆる手段で, 情報を入手することができる。しかしそれは必ずしも, 我々個人の生活を豊かにしているとはいえないと思う。 今回は情報過多(とわたしは考える)が我々にもたらした ものについて述べる。

情報化社会

20数年前,我々が得られる重な情報源は,口コミ以外では, 新聞,TV,ラジオ,雑誌等であった。TVも多くの地域では 民放は2,3局しかなく,本も街角の本屋の店先に並ぶ程度の 出版数であった。

しかし現在,TVも地上波以外に衛星,ケーブルと曲数が 桁違いに増えた。雑誌や本の出版数も,おそらく数倍以上に 増えている。さらにInternetの広がりにより,制限無しに 情報を入手したり発信することができた。まさに現在は 高度情報化社会といえる。

Internet上には国を越え立場を越え,情報が流れ,かっては みることが難しかった公的文書や海外事情,法律などの 情報をみることが可能となっている。

さらに新しい形態の情報サービス(携帯電話やカーナビによる 情報サービス)も次々と生まれ,まさに我々の周りには, あらゆる情報機器が並んでいることになっている。

情報が許容度を越えた時

しかしわれわれは,その情報を果たして,正しく使用することが 可能なのであろうか?。情報が豊かという事は,我々は,そこから 必要な情報を引き出し,それを材料に自分の立場にあった判断が 可能というとである。

マスコミは政府に情報を開示しろ,規制をはずし自由にしろというが, ということは,我々はその情報を元に,自分にあった判断をする必要が あるのだろう。

と「オープンなことはいいことだ」という論調であるが, 実はこれ,かなりきついことだと思う。世の中には いろんな立場や意見があるが,すでにこれらをあまねく フォローして自分の意見をもつ事は不可能な位, 世の中には情報があふれている。

そういう場合,どうなってしまうのであろうか?。 じつはそれは既に来ている。

ビッグセールス

ここ2,3年,CDの発売タイトル数は増加している。 つまりCDの選択肢は増えている。また単独タイトルの 発売枚数は増加の一歩である。先日宇多田ヒカルが700万枚以上の 記録をつくったのは記憶の新しい。

ということはCDを買う人が増えたという事であろうか?。 ところがCDの総売り上げ枚数は,徐々に減っているのである。 これはなにを表しているかというと,ある数タイトルのCDだけが バカ売れし,それ以外はほとんど売れてないということだ。 つまり売れるCDと売れないCDの差が物凄く広がっていることを 意味する。

これはつまりユーザが自分でCDを選んでいるというより, メディアのお勧めのCDを買ってるに他ならない。 そしてそのメディアも,独自に売れ線を探さずに売れてるものを 推してるに過ぎない。

検索エンジン

一方情報が日に日に爆発的に広がっているWebの世界は どうであろう?。ここも実はいろんなサイトがあるが, 素人との文章であるにも関わらず数万のヒットがあるサイトが ある一方で,一日数ヒットのところもある。

何故そういうことが起きるかというと,ヒット数が多いサイトと いうのは有名な検索サイトで上位にヒットする場所だったり, ネットニュースや雑誌等で話題になってるサイトだったりする。

つまり,こちらもユーザはお勧めを選んでいるだけである。 生のデータを独自に選べないのであれば,ユーザは検索サイトを 独自に選ぶという事になるのであろうが,しかし検索サイトで すら,大手に人気が集中するという有り様である。

コミュニティ情報は?

こうなると(検索サイトを含め)メディアに挙がる情報以外に 接するのはとても難しくなる。しかしかといって,すべての 年代が同じ方向を向いているか?というと,そうでもないように思う。

現実にインターネットを使った小さなコミュニティもあるし, 高校生世代の行動が大人から読みにくいということは, 彼らは彼らなりの情報網があるのかも知れない。

しかしこれはわからないだけあって,実態がどうなってるのか 想像ができない(^^;)。というわけで,今は詳しく言及しない。

いいこと,わるいこと?

情報があふれ,その結果,通常の人はそれをすべて 把握できないから結局誰かのアドバイスに頼る,そういう ものなのかもしれない。情報化社会になりだれでも 情報が得られるようになっても人間の情報処理力が 無限にあるわけではない。

しかし少なくともマスコミは何でも自由化といってくる。 そして最後に「我々には,いいものと悪いものを 判別する知識が必要だ」とかいいつつ,大同小異の マニュアル本を生成する。

情報があふれて,なんでも自由になることが本当に いいことなのか,私にはわからない。しかし情報が あふれることが,少なくとも個性豊かな個人をつくる わけではないことは確かである。情報が増えれば増えるほど, 個人は翻弄され,煽動されるのである。

最後に

ここに書いたことは,私にはずっと前から当たり前だと 思っていたことである。だからこれを読んでくれた人は, そう思う人も多いかと思う。しかしつい最近,「大ヒットが 生まれるのは,若い人の学力が落ちたからだ」という すっとんきょうなことをいう人が公共の電波上にいたので, 敢えて書いてみた。くどくて失礼しました(^^;)。


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99 Sep. 21st-24th


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