私はエコロジー関係というか,サブカルチャー関係というか, 思想関係というか(^^;),まぁそういうことをざっくばらんに 議論しているMLに入っていたりするのですが,そこで,食事と 食事というか,食事と政策というか,まぁそういう話に いつのまにかなって,最初はアヘン戦争の話から,話が広がって, 西洋が日本や他の国の食事を,肉食やパン食のように西洋化したのは, 自国のマーケットを拡大するという経済政策のためだとか, 米にもそういう側面があったとかいう話まで拡大していたんですが, 今は,作った人がわかる食事を口にいれるというのは大事なことだ ,という話になってます。
まぁ,いろいろ論客がいるところなんで,そういう話になるんですが(^^;), 要は,人が作ったものを食べるにしても,自分で作るにしても, 食べ物がどういう状態で育ったかをイメージ出来ることは 大事という話です。特に昨今聞くニュースのように,店で売ってる 食べ物の安全性が問われる時代ですから,食料は店舗で買えば いいという様な考えでは,危険なのかも知れません。
そのMLでは,そういう意識が強い人が多いせいか,農家と契約して 直接野菜や米を取り寄せている人や,自然食品店で野菜を買っている という人が多く,そのことをいろいろ披露しあっているのが現状です。 まぁ,情報交換でもあります。
さて,実は私はこういう話を聞くと,母のことを思い出します。 私の母親は,私が小学校の途中辺りから,ずっと農家と契約して 野菜を取り寄せる会に入り,そこから取り寄せた野菜や肉,米を メインに使ってましたし,化学調味料も使わない,洗剤も合成洗剤を 使わないという人でした。いわゆるエコマニアです:-)。 もっとも,狂信的にそうしてるわけではなく,たまにはインスタント ラーメンも食べますし,シャンプーとかも使ってます(一時期 椿油を使わされた時もありましたが^^;)。
もっとも,私が小学校に入る前は,自宅で味の素を使った 記憶もあり,年輩の方は知っているかも知れませんが,昔は 味の素は「頭がよくなる」なんていう風聞もあって,そのせいか 使っていました。しかし,私が子供の頃,体が弱かったせいか, はたまた,父親が高血圧だったせいか,ある時期から,化学調味料を 使わなくなり(たぶん公害問題が表立った時期でしょう), 台所も洗濯もせっけんに変わり,農家から食料を取り寄せるように なりました。
それから,私が自宅を離れるまで,母やそういう食べ物を メインに(もちろん,近所のスーパーで買ってくる食料も あります,自宅の庭で作ったものもあります)し, そして,私にその蘊蓄を語りながら 食べさせてくれました(^^;)。母親の味というと,具体的な 料理ということなんでしょうが,もちろん母がつくって くれた料理で好きなものもありますが,私はまず無農薬野菜 だったりします。
農家直送の低農薬野菜とかいうのは,金さえ出せば手にはいる ものではなく,実際に年に数回農家に手伝いに行ったりしないと 手に入りません。また年頭に契約するため,その年の出来不出来により, 来るものが変わりますし,それに旬のものが多いため,来るときは 同じような野菜ばかりが連続して来ます。これはこれで,一つの 食材をいろんな調理法で食べる訓練になるのですが,つまり, 料理を想定して材料を買うのではなく,材料から作る料理を 考える能力が要求されます。
まぁそんなかんだで苦労して,私を育ててくれたせいか, 私も子供の頃に比べたら,うんと体が丈夫になりましたし, 両親もいまだに健在です。私もおそらく影響をうけてるのでしょう, 化学調味料はほとんど使いません。
とはいえ,私自身が,そういうものを当たり前に育ったせいか, あまり,そういうことに喜びを感じなくなったことも事実です。 あたりまえすぎて有り難みを感じなくなってる様にも 思います。また,大学生の時に,農村で数ヵ月暮して, 農村の生活の堅苦しさを経験したりしたせいもあり, 農家が昔の有機栽培に戻り,農村を維持していくということを, 声と金だけ出して高らかに語るというのは,ちょっと 抵抗があったりもします。もちろん,安全で誰が どういう風に作ったかわかる農作物を食べれるに越したことは ないとは思いますが。
おそらく,母がそういうことをずっと何年もやってきているのを みて,自分がそこまで行けないというような気持ちがあるのかも しれません。私が食べ物の安全に気をつけてるとか,言っても, どうも母の姿を思い出すと,中途半端にしか出来ないと おもうのかもしれません。もちろん母は専業主婦でしたから, 自ら,その組織を運営したりしたこともありましたし, 農家の手伝いとかに出かけてました。
さて,そういう母も今は70歳を越えてます。数年前までは, まだそういう肉や野菜を取ってましたが,去年あたり,帰ったときに, 聞いたら止めていました。聞けば,「自分ももう歳なので」と いうことでした。私の実家には,姉の子供とかがよく来てるので, 彼らのために…ってこともあったんでしょうが,そういうのも 疲れたのか,止めたようです。姉自身が,あまりそういうのに 熱心ではないからかもしれません。
しかし,そういう話を聞くと,私の思い込みかも知れませんが, 母は,私(と姉)が無事育つように,そういう苦労をして 安全な食材を取り寄せていたのだなぁ…と思い,感謝の気持ちが 湧き出ます。そして,自分がそういうものがいいというのを わかりつつ,今一つ熱心ではないのが,やはり,そういうものは 自分のために…という場合,そこまで熱心にならないのだなぁ…, と思ったりします。私もいずれだれかのために,食事を作るような ときが来たら,そういうことを気にするようになるのかも知れません。
いまのわたしにとっては,低農薬野菜というのは,安全な 食べ物…というよりおふくろの味なのかも知れません。 そして,それをずっと日常に見てきただけに,それは無くしたくない ものではあるものの,それを得ることにハレは感じない 気がします。ですから,そういうものが普通に苦労せず 入手できるような,そういう仕組みこそが必要であり, 「低農薬野菜を手にいれていること」自体に喜びを感じる という都会の現状は,どこかいびつに感じたりもするわけです。
仕方ないことだとは思ってますが。