研究者の使命

何のために研究をするのか?,どうであろう?。 研究者といってもいろいろいるので一概には言えない。 しかし,それでも一般の人から見ると,研究をしている人, というのは良くわからないらしい。なので,ちょっと私が 知ってる研究者や,自分のことを書いてみよう。

以前,研究者ではない人の前で「研究者って別に,社会の ために研究をしているわけではないからね…」とか言ったら, 「ユニークな考えですね」と言われた。しかし,どうなんだろう?。 私は結構社会(人類・自然)のために研究をしていない研究者の 方が多いと思うのだが…。

自分の場合でいうと,純粋に興味でやっている。つまり 「おもしろい」から研究をするのである。 会社で研究をしている人には「食べるため」,つまり 職業だから…ということで研究をしている人もいるかとは, 思うが,大学や学生などはほとんど興味で研究を やっているのではないだろうか?。

つまり,自分の研究が社会においてどう貢献するか?は 別にどうでもいいのである。とはいっても,反社会的だったり, まったく役に立たない研究だと,研究自体が出来なくなってしまうので, それはまずいということで,社会でどういう風に役に立つかを 考え,少しテーマを修正したりする。つまり利害が一致する 様にやってるだけである。メインはあくまでも本人がやりたいから, そう思う。

とか書くと,研究者が白い目でみられそうなので,もう少し書くと, そういう風に思うって入るが,いろいろ研究をする人と話してみると, 自分の研究がどう社会に貢献するか?というのは, なんどかみんな考えたことがあるようである。やはり「 こんなことやって何の役に立つのだろうか?」というのは 考えるということである。結構真剣に考えている人も 何人か知っている。実はわたしも考えたことがある。 中には「役に立たない」ということで辞めた人も いると思う。もちろん社会に貢献するために研究をはじめた 人もいると思う。でも基本的にそういう人でも,研究する事 自体が好きなのだと思う。

なぜそうおもうかというと,私は必ずしも学術的発展が 社会を幸福にするわけではないという意識があるからだ。 というか,何が何を幸福にするのだろうか?。医療技術の 発達で人の寿命が延びたことでさえ,人工増加等のレベルで 考えるとそれなりに弊害がある。工業技術など,便利になる反面 いろいろ弊害が出てるのはいうまでもない。 単に「物事がわかってすっきりする」,ということでも, 知ってしまったが故の悩みというのを誘発したりする。 そう考える,「社会を良くするために研究をする」 なんていうのは,ずうずうしくてとても考えられない。 そういうことを言う人には,「何をしたらみんなが幸せに なるとかわかるのですか?」と聞いてみたい。

「役に立つ」という要素をとっても研究をしたい私は, やはり,研究自体が好きなのである。 もちろん,研究が誰かをその瞬間幸せにすればそれはそれで すごくうれしい。でも行為自体を好きというのが, 何事も一番のパワーになるだと私は思う。


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00 Apr. 16


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