はじめに
Fusion MLというメイリングリストで,アドリブ演奏の話を最近 ずっとやっていて,いろいろ考えているうちにちょっと思った ことがあるので,書きます。私にとって音楽は自己表現だと思ってます。表現する方法も いろいろあるとは思うんですが,特に私はジャズのようにバンドで アドリブソロを弾いたりするのが好きです。学生の頃は 気の合う友人とギター二本でほとんど何も決めずに即興演奏を やってたりして,それが私にとっては非常に楽しかったです。 まさに音楽演奏で会話をしているように感じてました。
ただ昔から気になっていたのは,そういうことをしようと楽器が できる人を誘ってもできる人が非常に(私の周りでは)少なかった ということです。もちろん楽器ができる友人はたくさんいました。 クラシックをやってる人も,ジャズをやってる人も,ロックを やってる人もたくさんいたのですが,そのうち感じるようになった のは,(演奏が)うまい人ほど即興をやる事に抵抗があるということ です。もちろん既にやってる人は除きます。
よくよく考えると私は,絵を描いたりもします。あと仕事は研究 ですが,実は私は音楽も絵も仕事も全部“自己表現”と くくると一緒だと思ってるのです。
しかしその習得過程は幾らか違っています。で,その結果,面白 いことに気づいたので書きます。結論は最後に書きます。
絵の習得(私の場合)
絵を描くのを好きになったのは中学校の時です。小学校までは美 術(図工かな?)の授業は嫌いでした。絵は正直下手だと思ってまし た。褒められたことないですし。中学の最初の美術の先生が徹底し てクロッキー(素描)をさせたので,人間形を描くことを憶え,なん となく楽しくなったのです。その後,転校してクラブを選ばなくて はいけない時に美術部を選んだのです。美術部では油絵を描かせてもらいました。そうすると今まで水彩 の時は苦手だと思っていた絵が描けるようになったのです。その後, 高校でも美術部に入り,デッサンをやったり,油絵を描いたり,あ と抽象画の真似事をしたりとかいろいろしてました。一旦油絵を描 けるようになると何故か水彩も描けるようになりました。
しかし美術部で描く絵というのは,基本通り。まずは形を正確に 紙の上に再現できるように練習します。そうやって,そこそこでき るようになったのですが,ある日,自分は似顔絵が描けない ということに気づいたのです。もちろん写実的には描けます, 時間がかかるけど。そうではなく人の特徴を捉えディフォルメして 描くというのができないのです。あと漫画も描けません。同級生で 美術部とは関係無いのにやたら,似顔絵がうまい人がいて凄く羨ま しかったのを憶えてます。
表現技術とコンテンツ
なぜ描けないかというと,描くイメージがないからです。 つまり何を描いていいかわからない。コンテンツがないのです。似 顔絵描こうとしても,どうディフォルメすべきかわからない。漫画 描こうとしても,どういう画風にするかを決められないのです。で, 下手に技術があるから,幼児のような絵だと許せない。悪循環です。似顔絵や漫画を描いている人というは,(学生の頃は)遊びで描い ていて,おそらく子供の頃から,描いてきているのでしょう。もち ろん他人の絵を真似たりして技術も向上しているんでしょうが,お そらく感性の成長と描く技術が一緒に成長したのだと思います。
音楽の習得(私の場合)
音楽は私は完全に自己流です。大学の時ちょっとだけ習いました が,もともとは中学の時にニューミュージックを聴いて,ギターを 買ったのが始まりです。それまではクラシック等を観賞する趣味も なく,せいぜいアニメの歌と,歌謡曲程度だったでしょう。ギターを買ったのが自分から進んで音楽を聴き始めたのとほぼ同 時期だった,また好きだった曲が,そんなに難しくなかったため, ギターを買って半年ほどで,好きな曲が弾けるようになりました。
後は,まぁ次々に曲をコピーし,またそうしていくうちに聴く音 楽も演奏して楽しい曲という風に変わっていきました。 そうして聴く音楽の変化と演奏技術の向上がほとんど同期していた ように思います。そのうち,段々“こういう風に演奏したい” というのができてきて,それに必要な技術を追うようになりま した。
その他(私の場合)
研究というのは,多分学生から見たら,学問なんでしょうが,高 校までの勉強と決定的に違うのは,自分で調べることです。 高校までは習うものでした。私は好運にも自分が興味を持っていた「音」について大学で専攻 でき,更に仕事にできたため,完全に自分のために研究をしてます。 自分の興味があることを調べ,資料がなければ自分で実験をする, いろいろ考察する。勉強と違うのは答がないことです。答えは自分 で出すことです。で調べるのに必要な技術を習得する必要があるの ですが,もともとやりたいことがはっきりしているため,全然苦痛 ではありません。大学までは英語とか嫌いだったのですが,論文を 書いて外国で発表するとなると,楽しく勉強できました(笑)。
その他にも最近,文化人類学や歴史,思想などの本を良く読みま すが,これも興味を持ってから進んで読んでいるため,非常に楽し いです。なんで学校ではこんな楽しく教えられないんだろう? おもっ たりすらします。 あと昔は作文が大嫌いでしたが,いまはこの様 に自分の一人言を長々と書くようになりました(笑)。
まとめ
こうやって自分が表現することを見につけて来た段階を振り返る と,いきづまったのは絵で,それはやっぱり表現したい内容を 明確にせずに技術だけを身につけたからではないかと思ってま す。音楽は,演奏技術と,耳と,表現内容がほ とんど同時に成長したため,自分の演奏をしたくてもできないとい う状況はなりませんでした。ただし作曲はしてきませんでしたので, 曲作りは,なかなかできません(^^;)。
絵は,描画技術と,観賞眼がが先につき,描き たい内容が決まってなかったため,現在苦労してます。
研究・勉強は,うまく高校までの勉強と今のを切り離すことがで き,研究手法技術と,考察力と,興味が, なんとか同期しているように思います。
上記三つの中で挙げている三項目は対応する順番に並べました。
結論をいうと,やはり表現を習得していく過程で,どれかだけが 極端に先にいくと弊害が出るような気がするのです。特に習う場合, 技術のみが向上しがちです。クラシックばかりをやってき た人が,演奏技術があるのにアドリブができないのは,自分で生成 したフレーズ(内容)が技術や耳に比べ稚拙で許せないのだと思いま す。ちょうど私が漫画を描いても,下手だと思うのと一緒で。
ですから,私は自己表現を習得するのであれば,「まず技術」と かいわず,始めから表現するべきだと思います。技術をつけてから では手遅れかも知れません。
かといって,勉強を,やりたいことが決まるまで,やらせない というのも無理なんでしょうけどね:-p。