雑記というか日記というか…

昨日(1999/11/02)研究会と講演会を梯子した。久しぶりの 研究会という事で刺激にもなったし,その後の講演会でも いろいろ考えることあったし,折角なので一文書くことにした。 とはいっても,レポートではないので内容の細かい紹介などはしない。 あくまでも徒然に一人言である:-)。日記に毛が生えたくらい。 メインテーマもあまりない(^^;)。

聴覚研究に再び火を付けた男

研究会は人工知能学会の「AIチャレンジ研究会」というもの。 まぁそれはいいんだが(^^;),今回の目玉は基調講演で, Albert S. Bregmanが講演したことである。Bregman教授は 「Auditory Scene Analysis」という本書いた人である。4,5年前 この本を参考文献にした学会の全国大会で多く見られた。 そして,音源分離という信号処理を盛んにした。そういう 業績のある人である。

この人のすごいところってなんなんだろう?。あまりにも いろんなところで引用されたため,最近原著を読んで, 「なんか当たり前のことしか書いてないなぁ」とかおもって しまった(苦笑)。

この人の業績を一言で言うとすると,「それまで,周波数軸解析 偏重だった音の見方(?)に対し,時間軸の流れに重きを 置く視点を提唱した」ことであろう。新たな視点を提唱することは 重要なことである。これまで音の分析というと周波数特性(いわゆるF特) で簡単に済ますか,時間軸の場合は音量変化,音程変化ぐらいしか 取り上げてなかった。しかし彼は,周波数成分を時間軸に見て, 近い周波数で連続しているものは一つの流れと見なすような 見方を提唱している。その見方を応用した音源分離技術が 現在盛んである。

しかしこの見方も,音楽の作曲法では半ば常識である。音程が 近い楽器と遠い楽器が複数あって交互に早く弾けば,近い楽器だけ 連続して旋律として聴こえる。こういうことから考えると,果たして 彼の視点が斬新だったのかどうかはわからない。しかし正しく重要な 事ほど聞いた方は,すんなり理解して当たり前と思うものだろう。

いずれにせよ,彼の本のおかげで既に終わったと思われていたような(苦笑), 聴覚の分野では研究が盛んになった。最近はそれも一段落してしまった 様な気がするが。聴覚というのは知ることである。 実は知ってどうなるとかいうのはない(笑)。 興味があるからやっている。だから役に立つかどうかはわからない。 会社ではなかなか出来ない,特にこのご時世…。というわけで, 研究会での他の発表も興味深い。聴覚をどう応用しているのか?。 ロボットとかコンピュータによる音解析が多かった。 最近TVで,「ロボットを作ることは人間を知ることだ」とか言っていたが, 逆である。ロボットぐらいしか人間(知覚)研究のアウトプットは ないといえるのである(苦笑)。なんかそういうことも良くわかった 研究会であった。最近盛んな脳科学とかも,何の役にたつか, とかではないのだろう。余談だが,私はその手の話が好きなのだが, 大抵そういう本は視覚偏重が強い。音についてはあまり考察されてない。 というわけで久しぶりに聴覚について考えれて楽しかった。

解剖学の視点から人間を切る男(あたりまえか?笑)

上記研究会を中座し,紀伊國屋ホールで行われたイベントにいく。 徳間書店主催のイベントで,有名な英国の科学誌natureの 関連の本が出たことを記念するもの。ゲストとして江崎玲於奈博士, 養老孟司博士が出演,コメントする。養老先生のファンの 私としては(^^;)一度,生養老を見てみたかったので出かけた。

イベントはnatureが科学界およぼした影響を述べるべく,nature に掲載された10大ニュースをあげ,江崎先生,養老先生等がコメント するというもの。あと両先生が話,最後に質問コーナ。

やはり養老先生の話はおもしろい。「DNA分子の二重螺旋モデルの 提案がなぜ重要かというと,これがはじめて生物学に情報 というものを持ち込んだから」だそうだ。なるほどー:-)…。 まぁいつもの養老節である。英国の科学雑誌natureは好きだが, 米国のScienceは嫌いだそうだ。ネイチャーは自然を見るものだが, サイエンスは人間が作ったものを見るものだからだそうだ(笑)。 養老先生の立場はやはり解剖学であり,人間を見ることである。 人間は人間が作ったのではなく自然が作ったものであるという 立場。人間が作り出したルール(機械)の上でごちゃごちゃするより 本当の未知である自然を知る事の方がおもしろいと いうのであろう。

他にも「西洋人は物事を要素に切り分けていこうとする癖があるが, これは英語のようにアルファベットですべてを表すことができるという 言語性に因るのではないか?」,「情報はすべて止ったものであり, 過去である。科学が確実なのは過去(死んだ情報)だからだ。科学が 役に立たないと言われるがそれは当たり前だ。情報は止っているが 変化するのは人間の方である。人間は同じ反応は二度としない」 等など…。まぁ養老先生はやはり話がうまく,過激さをうまく アレンジして聴衆を引き付ける事ができる人だ。最後の質問で 「科学は戦争を防げるか?」という質問に対し,nature誌の関係者は 「それは政治家の仕事だ」といったのに対し,養老先生は 「しかしそれは脳が起こすことだ」と言いきる。さすが唯脳論者:-)。 そうそう,ここでnature誌の人はミームを挙げてました。それに対し 「ミームを考えるのも脳だ」とデカルトみたいなこと言ってます(笑)。

両巨匠を間近に見て

とまぁ,いろいろ書けばきりないので,そろそろ止めるが,よくよく 考えると今回は,本やTVでしかしらない,しかも自分に何かしらの 影響を与えた人を二人も間近で見れたわけである。しかも 二人から共通して感じられたのは「人間を見る事のおもしろさ」である。 別に選んで同じ日に見たわけではないが,奇しくも同じ日に, それを感じ,自分が人を見て人を感じ人を考えることが好きなことに また何かしらの勇気みたいなものを感じ,心地好かった。

…と,まるっきり日記になってしまった(^^;)。今回は自分の意見が ほとんどないけど,まぁこれをきっかけでいろいろまた考えると思います。


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99 Nov. 3rd


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