分析と感動の両立

今回は軽く:-)。

私は,人間が感じたり考えたりする仕組みだったり理由だったりに 興味があるため,自分や他人が感情的になったりしてると, つい分析してしまう癖がある(^^;)。そういう場合,だいたい 冷静になってしまう場合が多いのであるが,そういう態度を 他人に見せると,「頼り甲斐がある」というより, 「いつも冷めてる」と思われることが多いようだ(^^;)。

あと技術者として,音を評価していると,音を分析的に 聴く癖がついてくる。音楽を聴いても「あぁー定位が変だな」 とか「……にピークがあるような音だな」とか…(^^;)。

こういう聴き方ができる能力を身につけると,得てして, 音楽に対して冷静になりがちだ。音楽というよりを 聴くようになる。音のパラメータを聴いたりする。さらに自分の 身体条件とかも考慮するようになり,ますます冷静になる。

しかし,冷静に聴くことができるからといって,冷静にしか 聴けないわけではない。自分の感情の原因がわかっても,静まらない感動や 怒りも存在する。むしろ分析能力がつくことにより,新たな 感動を生むこともある。痛いと感じる仕組みがわかっても, 痛いのはやっぱり嫌だしね:-p。

昔は分析能力がつくことに戸惑いがあった時期もあった。無感動に なるのではないか?…と。しかし今は違う。人間がどうして, 感動しているかがわかっても感動するし,むしろ,だからこそ 感動することを大事だと思う。

だからじゃないが,技術者だって分析能力だけではなく 感性が必要だ。

異性を愛する仕組みがわかっても,愛することが大事なことには 違いないしね:-)。


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99 Apr. 27th


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