抽出する本能

ホワイトノイズ…って知ってますか?…。「ザー」っという 雑音です。FMラジオのチューニングをずらしたときとか,TVのチャネル をずらしたときになるような音,そういう音です。 まぁ必ずしもホワイトのノイズでなくても良いのですが,つまりは 定常で特に意味を見いだせないような音をヘッドホンで 聞いてみてください。出来れば目をつぶって,ザーっていうノイズを 10分くらい聞いてみてください。

何か聞えませんか?。人によって違うかと思いますが,人の会話が ボソボソ聞えたりするかも知れません。わたしは実はとなりの部屋のから 大きな音でロックがかかってるように感じて,慌ててヘッドホン取りました。 なにもなってませんでした(^^;)。…。

これは不思議な現象ですが,報告されているので,わたしだけの感覚では 無いようです。ちなみにノイズじゃなくてもある程度の帯域をもった 変化のない音を聞くといろいろ聞えるようです。これと似たような 現象でわたしが良く経験するのは,白く曇った空を仰向けになり じっと見ていると,ちらちらヒカリが見える。パソコンの画面を 真っ白にして長時間見ていると虫が這いずり回っているように見える…, とかいうもの。そんなバカな…というかも知れませんが,例えば 木目が人の顔に見えるくらいなら多くの人が経験しているのでは ないでしょうか?。

これらの現象から言えるのは,人間は無意味な情報を長時間得ていると 何らかの意味付けをしてしまうということです。鏡視という現象があります。 これは真っ暗ヤミに鏡をおいて,それに暗闇が写るようにした状態で 見ていると,死に別れた人の顔が浮かぶというもの…。まぁ霊的に説明することも できますが,先のノイズの話と同様に捉えることができます。また 体温と同じ液体の上に長時間浮かぶと触覚からの刺激がなくなり, 幻覚が見えるという話もあります。これも似たような話かもしれません。

さて去年の後半あたり,わたしは神話宗教関連の 本を読んでました。それらから思ったことは宗教つくったり するのは人間の本能的なもの,つまり元来もっている 思考の癖みたいなもののようだということです。 人間は経験を重ねて危険予測をする生き物です。 「●●をすると怪我をする」という様なことです。しかも もっと複雑にいろんな予想をします。そうやって生き延びてきました。 危険予測をするというのは事象から法則性を発見するということです。 そしてそれが更に一般化するために法則の理由まで考えようと します。それが旧来は宗教でした。そして今は科学がそれをやってます。 ですから,わたしに言わせると科学と宗教は,人間の同じ本能に よってつくられたもので,多くの人にとって同じように機能しています。 宗教だって神様がいるという前提を立てると論理的ですから。

さてこの宗教の話と最初に書いたノイズが音声に聞える話を 比べるとどちらも人間が無意味の中から何かを抽出し見いだそうとするという 点で同じです。つまり同じ本能で出来ているといえます。 おそらくこの様な本能の原則は宗教や思想,それから知覚,認識以外にも 多く表層化しているのではないでしょうか?(と原則といってる時点で わたしも抽出してます)。 つまり人間は混沌とした状態をとにかく不快に感じ,なんでも いいからどこかに落し込みたいのではないでしょうか?。

人間は言葉もしらない目も良く見えない状態で生まれてきます。 しかし通常に人と接していけば言葉も覚え,複雑な思考をするように なりますし,目も見え文字も読めます。音を聞いて音楽を作り出したり することもできます。ちなみに話がそれますが,音楽をある程度出来る人は 楽器の音からも意味(法則)を感じます。人間が学習する過程を コンピュータで模倣するのには未だに成功してません。これは方法がわからないと いうよりもむしろ人間は別にメモリに大きな領域があるまっさらな 状態で生まれてくるわけじゃなく,何のルールもなく,混沌とした データ(というより神経回路)をもって生まれてくるのではないでしょうか?。 そして,その中から外部の刺激を何度も受け,無理やりにでも意味を 見つけていくことにより学習していくのだと思います。

ここまで書いてきたことは主に脳というかココロで起きている話ですが, 話をそらしますと, 内臓でも似たようなことがあります。物質は普通混ざり合うと 元には戻りませんが,人間のからだのなかでは多くの物質が 抽出され分離されます。そのそれぞれを微々に見てみると浸透圧の 差を利用したり,まるで物理現象や科学現象を利用しているのに, 全体としては物事を綺麗に分けていきます。まるでエントロピーの 法則が成り立たないような感じです。

話を戻しますと,セカイは混沌としてます。しかし人は混沌とした セカイを不快に感じまとめようとします。それが覇権だったり, グローバリズムだったりするわけです。 しかし現在それはうまく行ってません。それは世界中のみんなが 腑に落ちるような法則を,今だ誰も発明していないからです。

このあとどうなるのでしょうか?誰かが「ソレ」を発見するのでしょうか?。 なかなか大変なことのような気がします。見つけないで諦める…って 手はないのでしょうか?。重要なのはセカイを一つにまとめるのは それが「正しいこと」ではなく単に「気持ち悪いから」と わかることではないでしょうか?。そこには別に正義はありません。 不快から逃れるというネガティブな行動とも言えます:-p。 人間ってそんな生き物なのです。

皮肉ですが…。

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04 Jan. 26th

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