頭の中から見える空間

目で物を見ているとき,耳で音を聴いているとき,実際にその人の 頭の中でそれらの刺激がどういう風に展開されているかは, きっと人によって大きく異なる。 生まれつき目が見えない人は,物を視覚的に捕らえることは出来ないが, 音や杖の感覚や足の感覚で,街中でも難なく(?)歩くことができる。 彼らはきっと,視覚がない状態でもいある程度,周りの状況を 認識しているはずである。

神戸で Dialog in the Dark というイベントが あったので,参加してきた。これは,ホールの中を完全に 真っ暗にし,その中を全盲の人にガイドしてもらい歩くというもの, 同様のイベントは去年東京でもあったらしい。 真っ暗の中を歩くというのは,うまく環境がそろえば,こういう イベントでなくても経験することが可能かも知れないが,今回は 実際に全盲の人がガイドについてくれていて,彼らの感覚の 話を聞けるといういうことで,参加した。こういう機会は なかなかない。

ホールは非常灯などもうまく隠しており,長時間入っていても 決して目が慣れて見えるということはないという環境。 一応,途中に樹が植えてあったり,枯れ葉が撒いてあったり, 点字ブロックが敷いてある場所があったり,途中でテーブルと 椅子があったりと,「森の中」,「横断歩道と歩道」, 「ピアノバー」の三カ所を模擬しているようだった。 この中を杖を一つもち歩いていく。先頭をガイドの方が歩き, 主に声で先導してくれる。まめに喋ってくれるので, 少なくと私は,どこにガイドの方がいるかはよくわかり, 不安をおぼえることはなかった。

私は,もともと,長年音の定位の研究をやっていたせいで, 音を聞くと自然にどこから音が鳴っているか?を気にする癖がついている。 おそらく普通の人よりも音の定位は敏感なはずだ。 実は現在駅まで15分以上歩くときに,ヘッドホンをして ラジオを聞くようになったが,これも最初目をつぶるより, 耳を塞いで外を歩く方が怖いと思ったほど,音で自分の周りを 感知するということに関しては鋭いのかも知れない。

というのは,実際に真っ暗な場所に入ったとき,それほど 違和感がなかったのである。いっしょに行った他の人に 聞くとガイドの人がどこにいるかわからなかったとか, 距離がわからなかったという話も聞いたが,少なくとも 私にはそれはなく,ガイドさんが,どこ向いて話しているかも ある程度認識していたと思う。もちろん,これは 実際の会場が「作られたもの」といことはわかっていた( そんなに危険なものはないだろうと思っていた)し, ガイドの方がまめに声を出してくれていたというのもある。 おそらく,雑踏の中に誰も知らない人がおらず,一人で いきなりおかれたら,それなりの恐怖は感じると思う。 しかし,そのようなある程度の安心感があるなかでは, 少なくとも私は目が見えないことにより,周りの 世界が感じられなくなるという感覚は特に得られなかった。

「音が見える」という感覚を以前から味わったことがある。 特に目をつぶっているときは顕著だが,後ろから知っている 人から声をかけられたとき,知ってるものの物音がしたとき, 振り返る前から,見えてる気がする。バンドで演奏しているときも, 目をつぶっているはずなのに,自分の手が見えたり,周りの 状況がわかったりするときがある。もちろんこれは勘違い である場合もあるだろう。実際に振り返った後に, 映像を見てるのが感じられる時間の順番がおかしくなるため, 振り返る前に「見えてる」という気がしているだけかも知れない。 しかし,明らかに目をずっとつぶっていても,音から 存在感を感じるときはある。映像として 詳細なものが見えるわけではないが,なんとなく,そこに それがあるというのは見てる時と同じ感覚として 感じられる。

また,私は結構首を上に向けて,キョロキョロして 歩いていたのだが,足下に点字ブロックがあると, 首は上を向いているのに,足下を見ているような 感覚をおぼえる。それは楽器を演奏するとき, 首は下を向いているのに,となりにいる他のメンバーの 姿を見てるような気がするという感覚と,似ている 気がする。

他の人の話でも,今回,このような真っ暗な状況で,人の声がしたら, その人の顔が見えたという人がいた。その人にとっては, 新鮮な感覚だったようである。しかし,音からものが 見える感覚が喚起されるのは,自分だけではなく, 他の人にも生じるというのがわかったのは,興味深い。 私の場合は存る見えるという感覚が 必ずしも同居しないが,在るという感覚が 見えるという感覚として感じる人もいるようである。

もう一つ,「実際に全盲の人はどう感じているのか?」という 興味もあった。意外に自分達がどういう風に空間を感じているか? というのは意識していないようである。まぁ彼らにとって それらは,あたりまえの世界であるから,改めて 意識することはあまりないのだろう。目が見える人が, 見るために無意識にやっていること(眼球を動かしたり, 左右の視差から遠近感を得てるなんて意識している人は いまい)をほとんどわかってないのと同じであろう。 ただ,エコールームのような 場所では,やはり空間の感じはわかりにくいとか,そういう 話はしてくれた。音の場所を認識するのに,首を動かすか? ということはあまり意識してないようすだが, よくわからないときは「やはりするかなぁ?」という感じであった。

ガイドに人に聞くと,やはり普段から楽器をする人や, 音響の技術者は,最初から暗闇で空間を掴むのが,うまいらしい。 やはり,普段から音を分析的に聞くのに慣れているということだろう。

このように,やはり暗闇の空間を経験したということより, 他の人といっしょに行って,その人の経験を聞く, また全盲の人と話をするというのが非常に貴重な経験であった。 自分が,やはり音で空間を感じているというのを改めて 確かめられたし,他の人にも,多少の違いはあれ,似たような 感じする人がいる,しかし,そういうことを意識しない人が多い, 改めて音だけを便りに空間情報を得ようとすると,かなり 戸惑う人が多い,ということもわかった。 そして,全盲の人は当然音から情報を得ているが,自然(無意識)に それを行っているということもわかった。ただ, 私が待ち時間ロビーでギターを小さい音で弾いていたら(エレキを 電気無しで弾いていたので,かなり小さい音),バンドをやってる ガイドの方が真っ先に気づいた。やはりこういう感覚は 鋭い。音でしっかり聴こえるものを無視するというのは, ある意味難しいのかも知れない。その後,そのガイドの 人とはいろいろ話を聞けた。 そういう意味では数人のグループにきちんとガイドがついてくれ, なおかつ,観客の割りにかなり多くスタッフを使っている, こういうイベントは貴重である。

本来は今回のこのイベントは,視覚障害者の世界を 体験し,彼らが普段感じている苦労とかを,ある程度 認識するようのも目的としてあるのかも知れない。 しかし私にとっては,自分の空間認識の方法,他の人の方法, 全盲の人の方法が,少しわかった,話を聞けたということの方が, 新鮮な経験であった。そして改めて自分が視覚以外からも多くの 空間情報を得ているというものを実感できたのも興味深かった。

普段,全盲の人が身近にいても,なかなか体のことを聞くのは 抵抗があるのであるが,こういうイベントのおかげで, なんとか質問できたし,ガイドの方も快く対応してくださった。 いい経験であった。


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00 May. 06


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