私の父親のこと

私は私の父親の事が良くわかりませんでした。わからないというの は,何を考え,どういうつもりで生きているんだろうか?というこ とについてわからないということです。

私は父親と,ゆっくり腹を割って話した記憶がありません。別に父 親にほったらかしにされていたという意味ではありません。子供の 頃,父親と何をして遊んだとか,どういう風にいわれていたか?と いうのは,案外良く覚えてませんが,例えば小学生に上がる前に, バイクの後ろに乗せられて,うろうろしたことや,小学生ぐらいの 時に,釣りに連れて行かれたとか,父親が職場の人とやっていたソ フトボールやゴルフの練習に連れて行かれたというのは覚えてます。 あと,家族で史跡めぐりや美術館博物館めぐり見たいのをやってい たのも覚えてます。 でも,何を話したかなぁ…。
小さいころは母親が怖くて,父親のほうが優しいと言った記憶があ るので,子供の頃は父親のほうが優しいと思っていたのかもしれま せん。でも単に普段母親にべったりで怒られていただけで,父親は たまにしか接してなかっただけなのかもしれません。
本当に父親と何も話してなかったのか,それとも小学生というのは 人と何をしたかは覚えていても,何を話したか?とか覚えてないの でしょうか?。そういうものなのかな…。

私が中学生くらいになると,わたしもお決まりの思春期で親の言う ことをまともに聞かなくなるので,そこから親と向かい合って話す というようなことは無くなりました。それまであったのかもよくわ からないのですが。
とにかくその辺からの印象を書くと,私の父親は常に子供や妻(私 の母親)に対して,命令口調であり,何かを発言するときは命令か, 怒るか,何かを聞く,ということしかしませんでした。 つまり自分が何を考えているかをまったく話さない人でした。 しかも大体怒鳴るような喋り方をしてました。
毎日夜仕事から帰ってくると,晩酌をしながら夕食を食べる,終わ るとTVを見ながら寝てしまう…という生活でした。休みの日も寝て たかなぁ…とにかく家にいるときはゴロゴロしているという印象し かありません。

そんな父親でしたから,中学高校の時も何かを話した記憶がありま せん。つまり自分自身も父親に何かを相談したこととかなかったよ うに思います。父親と話すと不快な気分になるとしか思ってなかっ たように思います。子供にとって親というのは,自分に干渉してく る障壁みたいな気がしてました。

とはいえ,私が大学に入り実家を離れると,親と会うのは休みの帰 省の時のみになり,就職し上京すると年に1回程度しかあわなくなっ たりしたわけで,そうなるともう,親に対して,自分を障害の様に は思わなくなりました。自分は親に何も相談せずに物事を決められ るようになったわけですから。
そうなると,父親を不快に思わなくなり,普通に接することが出来 るようになりました。個人的にはこの時点で自分は親離れをしたと 思いましたし,父親自体も私に対して何か干渉をしてくることはあ りませんでした。その後も自分の妻には相変わらず命令口調でしか 物を言わない人でしたが,私に対してはきつい物言いはしなくなり ました。

そういう意味ではその時点で,私と父親は普通に会話が出来るよう になるのか?ということも思ったのですが,父親のほうはずっと何 も語りません。思い出を語るようなこともなければ,ふだんの自分 の思い自体を語ることもない人でした。何も考えてないのか,考え ているけど外に表明しないのか,よくわかりませんでした。

うちにいると,黙っているか怒ってるかの人でしたが,外で人と会っ てるいるのについていくと,結構愛想よく人と話していたり腰が低 かったりしていて,結構意外に思ってました。内弁慶なのか,それ とも実は結構小心者だったのか,と思ったようなこともあります。 それに私の結婚式の時のトークとかの時とかもひどく緊張してあら かじめ作った原稿などを読んでいたのとかを見ると,やっぱり結構 気が小さいのか?と思ったりもしてました。

父親も高齢になってくると,耳が遠くなったり,発音がはっきりし なくなったりしてきてますますインタフェースが悪くなってきて, あぁもういろいろ聞くことは不可能だよなぁ…ともうだいぶ前から 思っていました。 それでも,いつか,この人は何を考えていたのか?を知りたい,聞 き出せないか?とか思ったりもしてました。

さて先月その父親が亡くなりました。86歳でした。年齢的には大往 生の部類なので,特に悲壮感はありません。ただ正月に入院したの を見舞いに行ったときは,まだ意思の疎通が出来る段階だったので, そのほぼ半月後に亡くなったという連絡を聞いたときは,びっくり したし戸惑いました。

といわけで,結局のところ,最後まで父親の事を理解できないまま, 私と父親の関係はとりあえず終わったのです。結局こういう形にな るだろうなとは思ってましたが,そのときくるとがっくりくるもの です。

ここまで書いてきた様に,私の父親は私にとって,家にいつもいる 自分の親でしたが,何を考え,どういう行動原理で動いているのか わからない人でした。理解できない人が常に身近にいる…って事に 慣れさせてくれたという意味ではいい経験をしたのかもしれません。 実際今でも私は,身近な人が,理解できなくても案外ストレスを感 じないのですよね(苦笑)。あと,家族と打ち解けて楽しく過ごせな い父親は私にとっては反面教師でした。家族とはよく話楽しく暮ら したいと幼少の時から決意させてくれたという意味では,いい反面 教師でした。他にもいろいろと私は父親を反面教師にして育ちまし たが,結果的にはそれがよかたっと思っているので,まぁ良い父親 だったのかもしれません。でも父親が子供に対して反面教師になろ う…として接するでしょうか?。そんなこともないと思うのですが, それしか出来ないからそうしようとか思ったことがあるのでしょう か?。本当はそういう事を聞いてみたかったと思ったりもします。

あと,そういう反面教師的な父親でしたが,実は振り返ると,私の 進路について何の障害にもなってないことを後で思いました。中学 や高校のころはうるさくいろいろ聞いてきて鬱陶しく思ってました が,私自身の進路の決断について反対をしたことはありません。高 校の選択も県外の大学を受験したのも,一浪したのも,大学に行き, そのまま上京して就職をしたのも,一つも反対をしませんでした。 そして高校も大学も経済的には支援してくれました。こういうこと は,実際自分が親になってみると,自分の経済状態のことから,子 供の進路について,反対をしたり諦めてもらうということが無い様 にすることが,結構大変なことだと思ったりもします。それをまっ たく子供に感じさせずに,就職まで支えてくれたという意味では立 派な親だったように思います。

私は自分の父親をまったく尊敬できないと思って育ちましたが,結 果として,現在の自分の状態はわりと気に入ってます。そこそこう まく生きていると思ってます。でもそういう自分になれたのは反面 教師的な面からもしても,進学や就職を支えてくれたことも,父親 のおかげな面がかなりあるわけです。そういう意味では,立派だし 大きく感謝をしています。
そしてやっぱり一つだけ聞きたかったのは,そういう風に気をつけ 私を育てたのですか?…ということだったりします。

もう一つ,実は晩年の父を見ていてずっと思っていたのは,この 人は自分の死をどういう風にとらえているんだろう?ということで す。でもそれも結局聞きだせること無く亡くなってしまいました。 自分が将来歳をとっていくときの参考になるか?とも思っていたの ですが,父の内面はわかりませんでした。

振り返ると,私の父親はやっぱり私の元だということです。ですか ら感謝しつつ,その関係が終わる(固定化される)のは寂しいもので す。どうも長い間ありがとうございました。

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Last modified: Sat Feb 22 18:49:21 JST 2014
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