差別とお笑い
最近学校というか子供社会における「いじめ」は社会問題に なっていて,良くTVとかでも議論がされてます。でもなんか そういうのを観たり聞いたりしていても,なんだかしっくり来ません。 なぜなんでしょう?。なにかすごく奥歯にものが挟まったというか, 本当のことを言わずに議論してる気がします。言い換えれば, 建前だけを言ってるようにも聞こえます。またある一方からの 見方だけで話してる気もします。なにか大きなNGワードが あって,それを避けてるが故に本質的な話が出来てないような, そんなもどかしさが…。
そういう腫れ物に触るような議題としては,「差別」の話も あります。差別というと,いろんな差別があり,差別自体は 良くないのですが,何が差別なのか?なぜ無くならないか?,とか 言う話はやっぱりどこかすっぽり抜け落ちたような話しか 聞けません。さてそう思っているところに モンティパイソンにおける差別の話を読みました。
あまりこの中身について語るつもりはないのですが,お笑いの中には 差別意識に基づいた笑いというのがあるのは事実だと思います。 逆に身内しかわからない「仲間意識」というのが「内輪ネタ」となって 笑いにつながる場合もあります。差別とまではいかないまでも,噂話だったり, コケにしたりとか…。
知り合いと内輪で飲みに行ったりすると,そういう人の噂話をしたり, コケにして笑ったり,逆に自分自身を貶めてみんなに笑ってもらったり…とか そういうのがあります。いや,もちろん全部の知り合いがそういう わけではないのですが,そういうこともあると…。偉そうなことをいうと, そういう場はわたしは結構居心地がわるいのですが,でもそこで 止めよう…というほど無粋じゃないというか勇気がないというか(^^;)…。
一方で,「笑い」というのは笑うことによりその相手を 「承認する」という機能のあるはずです。許すとか認めるとか。 ただなんとなく居心地が悪いのはそういう承認の笑いではなく, 相手を蔑むというか,「つまはじき」にするというか,そういう 笑いです。なんとなく「笑い」にはそういう「優しい笑い」と 「冷たい笑い」があるように思います。そしてその線引きが とても難しい…。
さて,最近の若者にとって「お笑いタレント」というのは あこがれの職業のようです。わたしが子供の頃は,二枚目スターの 方があこがれで,お笑いはもっと格下の様に感じたのですが, いまの人にはそうでもないようです。もっともわたしの頃も 落語家とかは尊敬する芸人…という感じはありましたが…。
落語のような伝統がしっかりしたものではない普通のコントや 漫才などのお笑いは,定型がないので,あらゆることが試されて, 新しい表現を模索する場であり,芸術でもあります。 でも,それゆえに,その中に「優しいお笑い」と「冷たいお笑い」が 境界無く入ってくるようなこともあるように思います。 また新人の芸人を番組や出演者が笑い物にするというか,まぁ ある意味それで大きく取り上げる様な企画も多くあります。 その中にはわたしは時々「居心地の悪さ」を感じることがあります。 「これを笑うのは良くないことだ」みたいな…。
うまく言えないのですが,若者の間でお笑いが流行するのと, 差別やいじめが存在することの間に,なにか似たような感情と 居心地の悪さを感じます。だからといってお笑いが悪いという つもりもありません。上に書いた通り,笑いは人間関係に おいて必要なものです。そして笑いに種類があるとして,それを 権力が識別するべきものでもない…とも思います。だから具体的に どうすべきだとかいうのはありません。
ただ何となく,笑いには良い笑いと悪い笑いがある…ってことを, もう少し自覚的になり,良い笑いを共有できる場に自分はいれたら良いな…と 思います。それと,もしお笑いより,ヒーローが若者のあこがれだったら, 現代のいじめの実体も少し変わったものになるんだろうか?…とか とか少し思いました。まぁ戦うヒーローは戦う敵が必要という, これまた差別意識みたいなものなんですけどね(苦笑)…。