日本人の中の神道
去年の秋,従姉が実家の方で結婚をするというので行きました。 結婚式は阿蘇神社という熊本の一の宮(熊本で一番位の高い神社)で 行われました。神式の結婚式に出席したのは,はじめてではありませんが, こういうちゃんとした神社で…というのは初めてのような気がしたので, 興味を持って出席しました。
わたしは宗教全般に興味がありますが,神社にも興味があり, 以前から,神社を観て回ったり,イベントを観たりします。 まぁ他にも車のお祓いとかもしたことあるので,神社での やり方をみるのが初めてというわけでもないのですが, まぁ実際に拝殿に入って…というのは久しぶりでした。
神社に関してはいろいろ興味はあるんですが,その時に 考えていたのは,いわゆる神社…,つまり神道が,なにをもって 日本に広まったか?…と言うことです。日本人で神道を信仰してると 意識している人は少ないと思いますが,実は結構浸透していると わたしは考えます。宗教というとなにか明にお祈りする対象がいて…, って想像する人が多いかと思いますが,宗教にはそういうお祈りの 事以外に,生活習慣を規定する基盤を提供するという部分がかなり 強いです。我々がイスラム教の習慣をみて,かなり特殊に感じるように, 日本人にも海外の人からみたらかなり特殊な生活習慣があり, それは基本的には神道の考え方から生まれていると考えて いいと思います。例えば,割りばしを使う,マイ茶碗を使う, 縁起が悪いことを言わない…等というのは,明らかに神道的な 穢れや言霊の発想から来てるものです。 また,日本がキリスト教の宣教師を過去になんども受け入れながら, 日本ではいっこうに定着しないのも,実は神道的な考えが, ベースにあって,そのうえに仏教やキリスト教が乗っからざるを 得ないからだと思われます。
神道が広まった過程は?
さて,そういう神道ですが,弥生時代に大陸から,米の伝来と ともに日本に伝来し,大和朝廷が力を広げるに連れて,日本全土に 広がったと思われます。ただ神道が大和朝廷(いわゆる大王=後の天皇)が 作ったものなのか,それとも大和民族の中にある基本思想を 利用し体型づけたのが朝廷なのかは良くわかりません。 また,先住だった縄文人を殺戮しながら日本に侵攻したのか, 取り込みながら侵攻し,最後まで従わなかったのがエゾなのかも わたしには良くわかりません。いずれにせよ,弥生人は縄文人に比べ, 馬や金属器という武器の面,米作(ただしこれについては,詳しくは 後述)という食糧生産力,そして神道という宗教・思想面で異なって いたと思えますから,そのどれが,縄文人を圧倒したのか?… というのを単純に決めてしまうのは難しいと思います。
いずれにせよ,縄文人に対しては技術力,思想力で侵攻したにしても, では,弥生人にとって神道はどういう魅力ある宗教だったのか?, と言う疑問がわたしにはあったのです。例えばキリスト教,イスラム教, 仏教というような三大宗教は,非常に論理的に優れた面を持ってます。 またキリスト教やイスラム教は「信じない事への罰則」が つよく,拘束力が強い宗教でもあります。ある意味,少数民族で 信じられているような自然信仰を駆逐して行くだけのものが あるように思います(決して正しいとか,精神性が高いという意味では ありませんが…)。
そういう宗教と比べてみると,たしかに他の宗教を拒絶せず, うまく融合していく神道には,柔軟さやシタタかさという意味では 強さを感じますが,神話はあるものの教義がはっきりせず,どうやって 民衆に強力に浸透していったのか?…が良くわからなかったのです。
神前結婚式で行われること
ここまでの,疑問をもって,従姉の結婚式をみていました。 もちろん,弥生時代や古墳時代の神事が残っている可能性は 低いのですが,神社での行いが,いったい神社にとってなにが 布教上の武器となったのか,のヒントを残している気がしたのです。 そういう意味で言うと,神社の儀式は,例えば密教仏教の様な 怪しい呪術的な要素も低ければ,キリスト教の聖書の様な論理的な 説教もしない,音楽もほとんど用いず,どういう奇跡をそこにいた人に 見せていたかが,わかりにくい部分があります。敢えていうと, 鏡を用いるくらいでしょうか?。
結婚式の時に行うことは,だいたいこんなことです。 柏手を打って神様に挨拶,宮司さんが神殿に近づき 言葉を発す,太鼓を叩く,榊を収める,神酒を受け取り飲む…, という感じです。極めてシンプルで,時間も短いです。 これなら,お経を数十分読み続けて木魚を叩く仏教の方が, 遥かに神秘的です。
しかし,良くみてみると,この儀式はまるでお酒を振る舞うような 儀式の様にも見えます。柏手をうち,榊を収めると,新郎新婦は ともかく,出席者全員にお神酒が振る舞われる,そして全員それを 有り難がって飲む…という様な儀式のようにも読めます。
特別なものとしてのお酒
ここで,一つの仮定をしてみましょう。もし太古の時代, お酒を神社のみがつくることが可能だったとしたら。 人は神社に行って神様にお祈りをすると,不思議な水をもらえて, それを飲むと不思議な感覚が湧き出てくる,あるときは, 神秘体験をし,あるときは病気が治る…と言うことがあったかも知れません。 たしかに,考えてみたら,神社でお神酒が振る舞われるのは 正月とかでもある話ですし,また日本酒をつくるときはお祓いをしたり, 神様を祀ったりと,日本酒にとって神様は切っても切れない 関係があるように見えます。
もちろん,それだけとは思いません。実際に白木作りの 神社が森の中にあるのをみたりすると,当時竪穴式の茅葺き小屋にしか 住んでなかった人からすると,さぞかし神秘的な建物に 見えたかと思います。そういう神秘的な雰囲気, そして他にも,宴とか舞いとかもあったかも知れません。 それらが組合わさって神道は古代の日本人の心をつかんだようにも思います。 しかし,やはりその中で「お酒」が大きな役割を担っていたように 思います。
米作伝来が意味するもの
そう考えると,弥生時代の米の伝来が食糧としての米というよりは お酒の原料としての米だったという気がしてきます。お米を 大量生産した民族が強くなったのは,単に食べ物を持っていたから というよりは,お酒を大量に持っていたからかも知れません。 実際,古い神社には神様用の水田があり,米作と神道は強い 関係を持っているように思います。 また最近縄文人も米作をしていたという説が出てきてますが, それが酒の材料としての米だったのかはわかりません。 もし,お酒を提供することにより,神道が人心を集めたのであれば, 弥生人の日本の制覇は,武器や,食糧というより,お酒だったのかも しれません。
お酒を使って信仰を広めたというと,まるで薬漬けにして, 信者を集めた…と言う風に聴こえるかも知れません。しかし, そういうわけではなく,実際海外の宗教の中には,飲んだら 精神状態が変化するような食べ物や食物を用いて,神事を行い, またそれを信仰の対象にする宗教は沢山あります。そこまで 極端ではありませんがキリスト教でもワインが特別な飲み物だったり します。
食べ物・飲み物への思い
そういう風に考えると,日本人がなぜ結婚式や正月や その他の祭りで酒を飲むのか,そして,酒の席等と言って その場を特別の場にするのかが良くわかります。そういう風に 考えて,水田(特に遺跡とかで)をみると,それは不思議な神がかりの 場だったようにも思えてきます。ただもう一つ不思議なのは, では,いったい何時から,お酒を普通の人が造って 飲めるようになったのだろう?…と言うことだったりもします。 これについてはまだ考える材料がわたしには足りません。
いずれにせよ,お酒は日本人に大事な飲み物のようです。 そして,日本人にとって酒が特別なのみものであるのならば, ある意味,他の特別な食べ物や飲み物を有無も言わさず, 規制するのは,もしかしたら特定の人の信仰の自由を妨げているのかも 知れません。
3/26:追記
その後,日本酒の歴史というページを教えていただきました。 ありがとうございます(_o_)。
これを読むと,やはり鎌倉室町時代まで朝廷が酒造りを独占していて, 宗教的要素が強かった様です。単にわたしが知らなかっただけ?(^^;)。
いずれにしても,なぜ酒造りの独占を開放したのかが気になりますが, 酒が神道の重要な道具で,つまりは酒を飲んで酔うことが,神道に おける神秘体験だったというのは周知のような気もしますが, あまり文章で読んだことがなかったので,書かせていただきました。
でもそう考えると,なぜいまだに米が「聖域」なのかがわかります。また 日本は過去の貧しい時代にも実は米の生産量が十分あり,そんなに 餓えてなかったのでは?という指摘をする人がいますが,本当に つくられた米が食用に回っていたのかも,そう考えると,疑わしい 部分があるように思います。