承認は諦めに通じるか,祝福へ通じるか

もうちょっと時間が経ってどの作品だかわかりにくくなっているでしょうから, 書きますが,ちょっと前にあるマンガ雑誌にある漫画家の読み切りが 書かれてました。細かいところは忘れましたが,小説家かなにかに なろうとして会社を止めた男が中年になって奥さんに先立たれる。 奥さんは苦労したはずなのに男は奥さんの笑顔しか思い浮かばない。 彼女は本当はどういう気持ちだったのだろうか?…という様な 話だったと思います。男は仕事もろくにせず書いてる小説も いっこうに金にならず常に引け目を感じてます。なのにいつも 笑顔だった奥さんの気持ちがわからず悩むわけです。この作品は 奥さんの気持ちの話というよりも,この男の自分への評価の話と 言えるようにわたしは読みました。というのは最終的に男が 老人になって「こんな自分でも良かった」と思えてある程度 吹っ切れるところで終わったからです。

この漫画家の同じような作品は以前読んだことがあるような気がしますが, おそらく同じようなテーマの作品をいくつか書いているからでしょう。 つまり「なにものかになりたくてあがく男性」というテーマ,そして 過去の自分を「承認する」という行為。しかし作風なのかそれは 非常に寂しい承認であり,まるで「諦め」にも通じるようなものの 様に取れ,わたしは非常に読んでいて暗くなってしまいました。

すべての人がそうだとは言いませんが,人間はある程度似たような 自己意識の過程を経るように思います。まず最初に親や今の制度に 反発してそこから脱却しようとします。この段階で人は親や社会から 作られてきた自分のイメージを壊し,自分以外のなにものかになろうと します。これは「親離れ」とも言えますし「自我の形成」とも 言えます。普通は第二次成長期の頃に生まれる感情(感じ方・考え方)ですが, 最近30近くになって「自分探し」を始める人が多いことから,大人になっても 起きる…もしくは何度でも起きるものなのかもしれません。

作られた自分を否定し,その別のものになる…というのは,新しく 人間が物事や社会を作っていくのに必要なエネルギーです。ですから 進化論的に言うとそういう資質を持った人間が生き残ってきたと 言えます。古い常識,また古い自分を否定し自分を拡張していく そういうエネルギーです。

しかし人間は肉体的に永遠に成長するものではありません。体力も 知力もどこかで衰えが来ます。そして人生の終りや限界が目の前に 見えてくるのです。その時に古きを否定する考え方を持っていれば 結構辛いことになります。自分以外のなにものかになろうとして ずっと努力をしてきたにも関わらず,なにものにもなってない自分が 露になるからです。またなにものかになっていた人も, 同じような勢いで行くわけには行かない…という実感がやってきます。

その時人は自分の限界を認め,そしてそれまでの自分を「認める」行為を することにより救われることができます。幸運にもそれまでに ある程度の実績がある人はそれを持って自分が十分に走れてきたことを 認めるかも知れません。しかしそう言うものが一切ない人も もし「認める」ことができたら救われます。

しかし「認める」ということは誰にでも出きるわけじゃありません。 むしろできなく一生あがいて生きていく人の方が多いのかも知れません。 そしてその場合それがルサンチマンになり社会や他人を恨んで 生きることになる人も結構いるでしょう。最初に挙げたマンガは 人生の終盤まぎわで,自分を「認め」ルサンチマンから脱却できた 男の話でした。その「認める」ことによりその男は救われたのですが, わたしには「認める」ことが「諦めること」の臭いを感じさせ それがすごく嫌だったのです。

「認める」ことは「諦める」ことにしかならないのでしょうか?。 もちろん自他ともに認めるたくさんの実績があれば,諦めずに 承認することができるかも知れません。しかしそういう人ばかりではないし, その壁にブチあたるまで承認ができないのであれば承認は「追い詰められた 状況」によってなされることになってしまいます。 …でも実はわたしはそれとは違うパターンの「承認」を知っています。

それは,例えば世界と自分の繋がりを感じたり,世の中に祝福が あることを感じたり,…つまり世界は「YES!」だったり「OK!」だったり することを「実感」するときです。その場合「承認」は諦めじゃなく 「祝福」の様に個人の元にやってくるでしょう。

ただ,そういう状態になる人は結構稀な気がします。諦めることにより 救われる人も少ないのに,その前に祝福を感じられる…というのは なかなかそうそう無いようにも思います。ただ…,最初に書いた漫画を 読んだときに,「こればっかりが救いじゃないよな」と思ったので こういうことを書きました。もちろん祝福を描いている作品は世の中には たくさんあると思います。

以下余談。

自分が宇宙の一部であることを実感したとき,祝福をうけるのですが, 相対的に自我の価値が下がってしまうことがあります。そういう人は わがままじゃなくなるのですが,虚無感に教われることがあります。 マンガ「プラテネス」は,主人公が違う自分を目指し,その中で 自分とは何かを問いかけ,承認とは違う形で宇宙と繋がってしまいます (アニメ版とは全然話が違うのでご注意)。そしていきなり虚無の世界に 入りましたが,最終的にうまく戻ってきます。どう戻ったかは 読んで欲しいので描きませんが,マンガでこれだけうまく宇宙を知り そして虚無から戻ってきた話を,かなり健全に描いているのを わたしは他に知りません(というか忘れているだけの気がしますが^^;, 単に昨日読み直してそう思っただけなので)。

主人公の戻り方はたぶん正しいのだと思いますが,まだ自分には できないなぁ…と思ってしまいました。でもそれはたぶん正解。

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'05 Aug. 14th


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