何のために?…

「人間だけが…」というつもりはありませんが,少なくとも 人間は,考えて判断して行動する生き物です。もちろん反射や, あまり考えないでする行動も多いのですが。

ここには明には書いてなかったと思いますが,私は人間が行動の 判断をする場合,結局のところ突き詰めれば「快感を追う」行動と, 「不快から逃げる」行動に大別できると思ってます。この事に ついては,いずれ改めて書くかも知れませんが,何れにせよ, そうだとすると,判断の目的は結局はそれになってしまうという わけです。そして,この大別できた二つの行動判断基準のうち, 強制力が強いには明らかに後者です。しかし,後者の行動が 成功してもマイナスがゼロになるだけなので,実はあまり 楽しくありません。しかしマイナス自体を何とかしようと, 躍起になるわけで,そういう場合,ヒステリックな行動に 走る場合もあるわけでしょう。

さて,ここまでは前置きです。で,本題はアメリカ多発テロが 起きた直後から現在まで,いろいろと対策とかについて,いろんな 人が発言してますし,実際に政府なども対策をいろいろ決めてきてます。 私のページのトップを見た方ならわかるかも知れませんが, 私自身は,アメリカが現在行なっているアフガンへの攻撃については, あまり快く思っていません。もちろんそれは空爆したという現状だけに 反対というよりは,そこに至るまでの過程時間軸,またはそれに 関するアメリカ政府の発言等に…,というか むしろそちらに対して快く思ってないわけで,イスラム過激派を 見逃せ…って言うつもりはありません。ただ,少なくとも,テロ事件 直後に,アメリカはともかく,日本人の中から「イスラム過激派を 攻撃すべき」という意見が出たときには,私はかなり面食らいました。 その後,どうやら証拠があるらしいとか,現在の炭疽菌騒ぎを,安易に 犯人を決めつけてないところから,やはりハイジャックについては確信が あるのだと,思ったりとかで,やはり過激派が絡んでいるのか?…とかは 思うようになりましたが,少なくともあの事件直後の時点で,攻撃を 指示した人たちは,一体どういう行動の判断からそう思ったのだろう?…, と不思議に思ったのです。

そういう状況で,攻撃に慎重な私の意見と,攻撃に積極的な他の人との 意見の食い違いを考えているうちに,そもそも,「そうすべきだ」と判断 した理由というか,「何のために」とう点で,そもそも食い違って いるのではないか?…,と思ってきました。何かを判断する場合, 何に対してもそれなりの目的があるはずなのに,実際はその前提を すりあわせること無く結論を出そうとする場合が多いように思います。 例えば,構造改革絡みでも,特殊法人の解体や独占企業の分割等についても, 実際は消費者のためなのか?,業界のためなのか?を特に断らず, 「そうすべきだ」という意見ばかりが先走ってしまい,結果として, だれが喜んでいるのかわからない状態になったりもします。 「それをしたらどうなるのか?」「それをしなかったらどうなるのか?」 ということを結構見失って,「改革」とか「対策」とかそういう言葉の 響きに酔って,なんとなく賛成してしまっているのではないでしょうか?。

そういう意味で言うと,テロ事件直後にアメリカがイスラム過激派に 対して報復を表明したときに,「もし支援したら」,「 もし支援を断ったら」,「もしなにもしなかったら」, 「もし,すぐに回答せず様子を見たら」という風に仮定をして, その結果がもたらす結果が自分の望むものなのか?…,という議論が なく対策だけが先走ってるように思います。

日本政府が真っ先に支援を表明したのは,いまとなって考えれば, アメリカにいいところを見せたいという目的の様な気がします。 しかし,攻撃を支持した殆んどの人は,あの悲惨な現場を見て, 「やらないとやられる」と思ったのかも知れません。 政治家や業界人という立場を抜いても「アメリカに嫌われるとやっていけない 」って思った人が,いたのであれば,それはそれで,私とは かなり違う人間だな…って思ったりもするんですが(^^;)。 しかしやられるから…って点だけで見ると,少なくとも 日本人にとっては,それが最良の選択だったのか?,という 疑問が,いまの方がますます強くなってます。というのは,実際には アフガンでは日本人はかなり好感を得ているとの話が入ってきたり するからです。アメリカに対する支援表明の結果,アメリカやイギリスには 評価されましたが,アフガン,もしかしたら,イスラム圏の 人からの評価は下がったのかも知れません。そうなるかもしれない 結果は予想しての決断だったのでしょうか?。

「なんのためか?」というのをいうと,独身で子供もいない私にとっては, 自国の安全を守るためという目的は,実は一番には 来ません。従って,例えば守るべき家族がいる様な人とは, その時点で噛み合ってなくて当然だったりするのです(今回の 攻撃で日本が安全になるとは私は思ってませんが…)。また,実際に 被害にあったアメリカの人ともリアリティが違いますし,戦争の結果 得られるものもアメリカと日本では異なりますから,ここでも意見が 違うのは当然でしょう。そして,アメリカ政府が何のためにそうしようと してるのか?を考えると,あまり私にとっては賛同できるようなものが 第一に来ないのです。実際にブッシュ大統領の演説はあくまでも自国の 繁栄を強調したものであり,それに対して手を挙げて賛同するのは, 変に思えます。そして,パキスタンの大統領や アラブの首脳達が何のためにアメリカを支持したのかを想像すると, アメリカに逆らうと怖いからという理由が第一に浮かんだり します。また,イスラム過激派が何のために行動しているのか?, タリバンが何のために行動しているのか?を,考えてみれば,それは そこにいくつか理由が思い浮かべられるでしょう。

結果を問うときは行動の内容自体を見るのでしょう。しかし, これからの事を考えるときは,「何のために」というものを 問うべきなのだと思います。人と意見が合わないとき,そして, 意見が一見合ってるようなときでも,目的を照らし合わせると, 異なっていることが実は結構あるように思います。そして,人は, 結構その本来の目的とはハズレて成り行きで行動してしまうことが 多いように思います。しかしもし物事の本質を見据えながら行動を していくのが望みであれば(かならずしもそれがいいこととは限らない でしょうが),目的ともたらす結果を見つめる必要があるのだと 思います。


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01 Nov. 2nd

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