英語で書くと「One Year from Terror」ですが,「テロ(事件)から一年」 ではありません:-p。改めていうまでもありませんが,先日11日でアメリカの同時多発テロから 一年経ちました。ここ数日TVもガンガン取り上げているので, それに気づいてない人はかなり少ないでしょう。 実はだいぶ前から,一年経ったら,何かしら文章を書いておこうと 思ってました。もっともその一番の理由はトップページに「期間限定企画 (9/〜……」とか書いてるので,そろそろ'01/9/って書かないと いつの年の9月かわからないよなっていう理由だったりします(^^;)。 まぁ,トップページにずっとおいてきてるので,そこを多少なりとも 変更するなら,それに合わせて一言書いておこうって いう感じです。
というわけで,一年経って改めて何かを思ったわけではありません。 しかし一年前の日記を読み返したりして,当時を思い出したりしてみました。
それで今回のタイトルになるわけですが,一年前テロが起きた翌日の 日記を読むと「怖い」と書いてます。いまでも思い出しますが, TVの先の出来事でしたが,はっきりと恐怖を感じました。そして, どうしたらいいんだろう?と必死に考えようとしたのを覚えてます。
いろいろ思うところあって自分のことを必ずしも平和主義とは おもってませんが,とりあえず,他国を攻めることは出来るだけ 避けたいとか,そもそもアメリカ帝国主義には昔から反発があります。 ですから,一年前のテロの直後にアメリカがテロへの報復を,反射的に 宣言したことには,すなおに同調出来ませんでしたし, 民間人が誤爆で被害を受けるとわかっているのに(過去の実積から 誤爆があるのは容易に想像できました)アフガンを攻撃するのにも かなりの抵抗を覚えました。
しかし当時の日記とかを見ればわかるように,テロ直後はかなり世の中は アメリカのテロ報復へ賛同する声が強かったのです。私自身が 恐怖を覚え,何をすればいいか回答を見つけられず苦悩していただけに, 今思えば,報復に賛同した人たちはその恐怖に対してとりあえずの 回答を出した人なのかも知れません。それゆえか,時間が経って, 徐々に冷静になってくると,今度はアメリカのやりすぎを 指摘する声も増え,徐々に報復反対をする人が増えてきました。 わたしは実は当時,ある人の掲示板で報復すべきか…という議論に 混じりかけた事がありますが,当時報復に賛成した人が, 当時の判断を今でも正しいと思っているか,是非聞いてみたいです:-p。
ところで,先日11日は ヒューマン・ビーインというイベントに行ってきました。 わたしは2,3年前からこういうエコ主義・平和主義の人たちが 行ってる野外イベントを見て回るの(必ずしも,すべてに賛同している わけではないので,こういう表現になります)が好きで,去年の夏とかも 行っていたのですが,やはり去年の9月以前と以降では全く変わって しまったのだな…と思いました。去年の9月以前は,いったい何を持って 平和活動をしていたのか,全く思い出せないくらい,今年のイベントは アメリカの攻撃とイスラエルの状況に対しての話でした。 しかも,アメリカの場合,すでにアフガンの攻撃の話ではなく, イラクの攻撃へ話が広がっているという点が,時間の経つのの早さを 感じさせます。
このアメリカのスピード感はいったい何なのでしょう?。 なぜ次から次へ攻撃しないといけないのか?。ゆっくり考えるという事は 出来ないのでしょうか?。
わたしが一年前,「恐怖」を感じ,なにかそういう早急な答えを求めた, 今となっては,「あれはパニックだったのだな」と思えるのですが, アメリカのスピードは,「いまだにパニックにいるのか?」そういう 風に思わせるものがあります。