1.科学の衰退とパラダイムシフト
高度経済成長が陰りを見せ,公害,人工増加等が深刻な問題に なるにつれ,科学に対しての不信感というのは,年々増えつつある。 考えてみれば,私が幼少の頃は,科学の発展によって,人類は 宇宙へ飛び出し,クリーンなエネルギーを送出し,いろんな謎を 説き明かし,豊かな便利な時代をもたらすに違いない…といったような 思いがあった。しかし,そんなものはとっくに消え去った。 石油ショックが最初のつまづきであろうが,最近のバブル崩壊の せいもあり,ますます科学社会に対する期待というのは薄くなっている。 人々は自然回帰を望んだり,活性・進歩より癒しを 求めたりしている。科学進歩の限界のせいか経済の限界のせいなのかはわからない。 しかし,こういうなかで,パラダイムシフトが生まれている様に 思える。最近盛んなカルト宗教もその一つである。科学社会に 限界を感じ,宗教の教えが人を救うと信じる。占いや,風水なども 一段と盛んになってる様に感じる。つい最近まで,先月人類は 滅びるはずだったし。もっとも旧暦の7月は入ったばかりだが(笑)。
2.オカルトとは
オカルトという言葉の定義はしらない。しかし,ここでは 科学的に実証されていない理論の事を指すこととする。したがって, 風水の基になる陰陽道もオカルトになるし,西洋では思想的軌範に なっているキリスト教もそうである。各種宗教もそうであろう。 占いもそうだ,UFOも。3.オカルトとしての科学
では科学とオカルトの違いは何なのであろう?。科学とは 論理的に証明されていているものであろうか?。本当に そうなのか?。おそらく一般の人にとって,科学とは, 教科書に載っていたもの,科学番組が正しいと言ったもの ではないだろうか?。ある程度,習いながら証明とか,実証実験 とかを経験しているであろうが,すべてではないはずだ。 ある仮定を元に実験しているだけであろう。「教科書」を 「経典」,「科学番組」を「宗教家」にしたのとどう違うのであろうか?研究者にとって,科学で重要視されるのは「実証性」である。 誰かが証明した同じ手法で追試すると証明できることだ。 確かに実験でわかるものはそれも可能だ。しかし,そうでない ものを科学のように扱っているものも多い。 例えば「宇宙はビッグバンで始まった」とか「すべての物質は 原子で構成されている」とか「生物は進化したもの」とか いうのは,本当に追試したり,確認したものであろうか?。 私はその分野の人でないので,間違いかも知れないが, どうもこういうのは,「そう考えるとうまく説明できる」 と言った類いのものの様に感じる。 だとすると,オカルトとどう違うのであろうか?
4.現在にいきるオカルト
逆に現在受け入れられている,オカルトの類いも,結構 論理的なのがわかる。風水に代表される陰陽道も,もともと 東洋の理論だった様に,かなり論理的である。しかも すべての物質を何か単純なもので表そうとするのは,脳の特性 なのか(笑),原子の話と良く似ている。現在流行っている宗教も,科学的手法を取り入れるし, 占い,特に血液型や星座というのも,占いに対し, 根拠を求めるという,実に科学的な手法である:-)。
5.イマジネーションが産み出すもの
つまりどちらも似たり寄ったりなのである。というと 科学者に怒られそうだが(^^;),少なくとも,自分で 追試をせず,人から教えてもらう人にとっては,科学的であろうが, オカルトであろうが,「尤もらしい」だったら信じるのである。しかし,もともと科学というのも,実験結果から 生まれたというよりは,ある事象をうまく説明するように 作られることが多い。つまり仮定がスタートなのである。 ある対象そのものを表しているというより,ある対象の 見え方を表しているに過ぎない。だから別の見え方で うまく説明できれば,そちらの方が,いいという事になる。 天動説から地動説に移り変わったように。
であるから,誰が見ても永遠に正しいということはあり得ない。 その現象を見て,イマジネーションが豊かな人が 産みだしたものである。
6.どこへ?
真実がどこにあるかわからないのであれば,それを追うというのは どういうことなのであろうか?。大切なのは真実を知ることでなく 幸せになることであるとしたら,真実は必要なのであろうか?。私がここで言いたかったのは,科学がくだらないという事ではないし, オカルトがすばらしいということでもない。ただ,この二つに 明確な境界はないし,科学が論理的なものということも, 常に正しいものではないように思う。いや,真実というゴールが 本当にあるのか?という感覚が書かせたものである。
しかし私は研究はする。それは研究が楽しいからだ。 神について考えるのと同じくらい:-)…。