正義の戦い?(03/02/04)

先日イスラエルの首相選挙で,シャロン首相が多数の支持を 得て再選した…という話をTVでやっていました。シャロン首相は テロの撲滅を宣言していて,対する候補は対話を公約していた 様です。

「対話をする」というのは一見「撲滅」に比べれば美しく見えるのですが, 支持されないというのは,それだけイスラエル国内の人(イスラエル人)に せっぱ詰まったものがあるって事でしょう。逆にパレスチナ人は 自爆するほど差し迫っているわけで,つまり双方が「そうしなければ 自分達が死ぬ」と思ってるようです。市民へのインタビューとかでも そう言ってました。

シャロン首相は「テロリストを全員殺せばテロは無くなる…」 というようなことを言ってましたが,テロというのは 組織とは限らないわけで,結局のところパレスチナ人を全員殺すか, 追い出すしかない…という風に取れます。

結局そういう事なんでしょうか?。

話をちょっと変えます。ここ数年,大和朝廷が蝦夷を滅ぼしていく 過程に興味をもって,ちょっとだけ調べているんですが,やはり 思うのはなぜ朝廷は東北を征服する必要があったんでしょうか?。 もっというとなぜ九州から東征する必要があったんでしょうか?。

平安時代に何度か東北で戦った蝦夷というのがアイヌ人なのかどうか というのは,異論もあるようですが,実際には言葉も通じない相手… というわけではなく,それなりに対話などもあったようです。 その中で,「こっから先は蝦夷の土地として攻めないでくれ」などと いう交渉もあったようですが,その時は飲んだとしても, 結局は朝廷は東北全部を平定したという事のようです。 つまりは明らかに攻められたから攻めたというよりは,侵略を しているわけです。

まぁ,冷静に考えると動物は人口増加型の繁殖をするものだけが 生き残るので,通常は一人あたり一人以上の 子孫を残すはずで,そうなると技術が上がって,環境で淘汰 されないと,結局人口が増え,土地(と食べ物)が足りなくなるのは 当然なわけです。そうなると技術レベルが上がった国が 現状で安定…っていうのはあり得ず,技術レベルが上がると 人口は増え土地が必要になるのです。そうなると 支配地域が広がる…,で地球のサイズは有限なので,いつかは 民族同士のぶつかり合いが出るのは当然です。

リアルに考えると,そうなると人間が人間を殺すしか なくなるわけで,そうなると,他の民族を殺すか(戦争),自分達の 仲間を殺すか(一般的にいう殺人),家族を殺すか(間引き,姥捨て等) …という選択肢になり,いずれも歴史的には起きてることなんですね。

…ちょっと話を変えまして, 殺し合いだけの話ではなく,差別の話もちょっと書きます。

アリストテレスは奴隷は必要と確か言ったはずです。 豊かさを享受するためには奴隷が必要という事です。 となると,技術レベル(だけとは限りませんが)が 高い国が低い国を支配するというのは,必然なんでしょうか?。

最近は露骨に奴隷とか支配とかをする国は減ってますが,経済格差を 利用して,安い賃金で労働力を得ている…という事は現状でも たくさん行われていますし,その事によって我々は豊かさを享受 しているような気もします。

…,さてわたしがここまで書いてきたのは戦争は必然だとか 奴隷は必然だ…とか言いたいからではありません。わたしの中には やはり他民族であれ殺したくは無いし,差別も無い方がいい…という 様な想いもあります。

ただし,ある意味必然であるなら,それを避けるには大変な努力や 工夫が必要なわけで,ただ望むだけでは無理ということなのでしょう。 実際にせっぱ詰まっている人たちに綺麗事を言っても通じるわけがありません。 現状を何とかしないと無理なわけです。

ただ必然ということは,「敵が悪だから」という理由も 本当は必要ありません。というより,むしろ「悪」かどうかというのは 「誰にとっての」,「どういう利害の」ってことであり, 全人類に取っての…というのは,少なくとも相手が 支持者を持っている限りはあり得ないのだと想います。

であれば,第三者がどっちにつくか?…というのは, やはり「利害」とか「文化的に理解できる」とか「過去の経緯」とか そういう話なんでしょう。そして個人レベルの「価値観」が 絡んできて,葛藤するわけです。

一方,人間が何となく人間同士の争いを嫌うというのも, おそらく日本人だけの感情ではないと思います。人が 人を殺すのが必然であれば(というよりそうだからかも知れませんが), 人が人を殺すのを忌むのも必然なのかも知れません。 そういう意味で言うと必然だからとい戦争を無条件に 認めるわけではなく,そこにブレーキをかけるのも必然でしょう。

しかし,ある意味戦争を正当化することとか美化することは, そのブレーキをかけにくくするための戦略なのかも知れません。 過去に戦争をした人達は,様々な理由をつけて,一般の 人達にその理由(利害)を見えにくくしていると思います。 そもそも戦争で正義が詠われる事自体が,言わないと わからないものだからなのかもしれません。せっぱ詰まった 紛争の方があまり詠われないし。

戦争する理由というのは,利権者に取っては合理的な ものかもしれませんが,それを支持する人にとっては感情的な 場合が多いように思います。また反対する人は感情的な 場合が多いと思います。感情論なのでうまく噛み合わないし, 解決策や妥協点が見えにくいのでしょう。であるから, 仮にわたしが戦争に反対だとしても,推進派をどう説得するのかは 見当がつかないし,そもそも歴史の必然の方にも折り合いを つけられないでいます(無意味に寿命を延ばすのに反対…って いうのは多少この考え方に影響してますが)。

答えが見えたわけではないのですが,敢えて「戦争はなくならないのか?」 ということを取りあげて,だからこそ戦争にグローバルな正義はないのでは?, ということを書いてみたくなったので,書いてみました。

あまりオチのある文じゃありませんが…。

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03 Fan. 04

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