最近読んだ本から…メモなどを。
書籍編
- すべては音楽から生まれる〜脳とシューベルト〜(茂木健一郎)(08/03/09)
- わたしは音楽をもう何十年も第一の趣味としていて,聴くだけじゃなくて 演奏や作曲というかアドリブとかそういうこともやっています。 ですので,今まで音楽家以外が書いた音楽に関する本というのは, どうも突っ込みどころが多くて読むと苦笑してしまうばかりです。 茂木氏の本は好きなものが結構ありますが,演奏や作曲を されているわけではありませんし,脳とかの話と音楽の話を くくられてもやっぱり苦笑してしまうのだろうな…と思いつつ, 本屋でこの本を手にしたときは,最初買うつもりはありませんでした。
余談ですが,芸術について専門外から書いても鼻につかないという 人としては前述の鷲田先生とかそうなんですが,なかなかそのレベルの 人はいないように思います。
話を戻して,そういう意味でこの本も止めようかと思って目次を 見ているうちに,突っ込みとして買うか…と気が変わって購入しました。 というかサブタイトルの「シューベルト」というのにネタか?って いう気もして。
わたしは音楽全体の話はともかく個々の音楽のよさ悪さは,対峙する人の いろんな経験や素養やそういうものに影響すると思っているので, その音楽が絶対的に持っている魅力の様に語られたら,笑うだろうな…とか, 茂木氏なら脳の一回性や学習のことをわかってるだろうに,どう 書くんだろうか?とかそんな,事を予想しながら…。
で,読んでみると茂木氏がしっかりそういう突っ込みどころを 意識しているのに笑いそうになりました。そもそも,脳は自発的発見に 喜びを感じると書いています。ここで茂木氏の経験を読んでも, その喜びは同じようには体験できないって事です。自分で見つけて すばらしいと思わないと,駄目なのですから。モーツアルトの 話も書いてあって,あれも聴くほうの問題と書いています。 なんというか自覚的だよなぁ…,著者の感動の体験をつづられても…, そりゃー,氏はそうかもしれないけど…。
で,なんでじゃぁこういう本を書いているんだろう?と思って 読んでいたら,最近は本を書くときに意味を伝えるのではなく 音楽というかリズムとかハーモニーとかに気をつけてるとか 書いてます。こうかかれると内容に突っ込みすら入れられません。
というわけで,ネタ本なのか?と思いつつ,やっぱりこの本を 書いたのは何かしら意味があるんだろうな…という気はしました。 本を書くのに意味を伝えるのではなく,でも何かを伝えたいと いうような…。でもそういう意味でいうと,すでに氏の本は 学術書ではなく文芸書なのかもしれません。文芸は音楽では ありませんが,本を書くことにより意味以外のさまざまなものを つたえようとしてるのでしょうから…。
- <想像>のレッスン(鷲田清一)(08/1/26)
- 本屋で鷲田先生の本を見つけたので買って読みました。鷲田先生の 本は何冊か読んでますが,この本はいろんなところに書いた文章を 集めたものらしく,全体として何かをいおうとしてるわけでも無い様子。 ただ,芸術に対する論考というか…むしろ「想い」をつづっているという 意味での統一感はある。
わたしは昔哲学者が芸術を論じることが何を意味するのかが良く わからなかったのですが,最近はよくわかるようになった。そして 哲学者の中でもっとも深く芸術を語れるのが鷲田先生の様な気がします。 そういう意味で,全体で通して読む必要は無いのですが, 中の文章を拾い読みするだけでも,何か芸術に対してジンとくるような そんな読後感のある本でした。
- 音楽と言語(T.G.ゲオルギアーデス著,木村敏訳)(08/1/26)
- 1950年頃の本らしい。西洋の人が書いた音楽の歴史というか…, そういう本(講義録)。西洋の音楽学の人が書く話はたいてい 賛美歌とかの考察に話を割くのですが,これもそういう感じ。すこし 日本人にはピンときづらいのですが,単音の詩を読むという形から 始まった旋律が,音楽として独立度を増していく過程はちょっと 興味深かったりします。
現代の音楽を知ってるわれわれは旋律が歌う言葉に縛られているというのは 想像しづらいのですが,日本も浄瑠璃とかを聞くと,音楽というよりは 読み上げに装飾がついているという感じですから原始の賛美歌も そんな感じだったのかもしれません。
まぁ西洋の哲学とかを勉強するとものすごく言語志向が強いので, 多少いいすぎというか,賛美歌はそうでも市井の音楽とは違っていたのでは? という気がしないでもありませんが,まぁそれはそれとして…。
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