読書メモ(2004年1月〜2月)
2004/2/3:作成
最近読んだ本から…メモなどを。
書籍編
- 中国はなぜ「反日」になったか(清水美和)(04/02/18)
- 教科書問題,靖国参拝となにかとうるさい中国ですが,反日
姿勢を明らかにしたのはたかだか十数年だそうです。毛沢東,
周恩来らは日本の軍国主義には警戒はするが日本人民にはそうではない
と言っていたようです。日本よりむしろ中国の方が戦争前のことを
過去のこととして受け取っていたという話が書いてあります。
このことにはびっくりしました。最近の日中の間のことを
思うと違和感があります。しかし良く思い出すと,たしかに
自分が子供の頃は,あまり中国の日本への干渉を意識したことは
ありませんでした。
この本ではそういう中国がなぜ現在のようになったのかを,日中の
外交交渉の流れ,そして中国指導部の状況と合わせて説明しています。
結論をいうと現在のような中国の反日ぶりは江沢民が指導者になってからの
もので,毛沢東,周恩来,とう小平の様なカリスマ性をもたない
江沢民が党内での長老を押えるため,また共産主義の崩壊で,
共産主義の輝きが失われたため,民族意識教育の強化を行った
影響という風に捉えてます。もちろん,それ以前の親日ぶりは
ソビエトと敵対していた中国がアメリカ・日本と関係をこじらせたくない
ためにそうであっただけで,本当に昔のことを過去のことと思って
いたわけではありません。
著者は中国を中心に活躍した報道関係者なので,中国関連の
視点が主ですので,わたしが今まで読んでいた他の世界史とは
若干視点が違っていて興味深かったです。特に中国が日米安保を
「日本の軍備拡大の抑制になる」と歓迎していたらしいのは初めて
しりました。
いずれにせよこれらの歴史の動きをみてわかるのは,日本が戦争前・中に
中国で行ったことが本当に悪いことだったのか,現在も謝罪すべきなのか,
というのには真実などは存在せず,政局の都合で決まっているってことです。
まぁわたしは過去の戦争を正当化するつもりはありませんが,かといって
現在の言われ様をまるまま飲み込むつもりもありません。
とはいえ,日本の政治家のいい加減ぶりにも呆れるし,それに
影響されて失脚した中国の指導者がいたりするのもちょっと同情しました
(それだけが原因ではないでしょうが)…。たしかに省みると,
中国の指導者の過去の戦争に対するコメントは,状況が変われば変わりますが,
その中では一貫しているようで,それに比べれば,ギイン先生たちが
リップサービスで失言をしてしまう日本は,余りにも外交に対しての
意識が低い気がします。
著者は現在の胡錦濤主席は,江沢民時代に国民意識が強くなり過ぎたことに
警戒感をもっているので,今後,反日政策は多少弱まるのではないか?,と
読んでいます。むしろ現在は小泉氏が,不況対策の遅れを紛らわすために,
敢えて嫌中感情を刺激するような行動をしているとそちらの警戒感を
感じているようで,それに関しては一理あるな…と思いました。
- 数量化革命(アルフレッド・W.クロスビー著:小沢千重子訳)(04/02/03)
- 年明け辺りに読んでいた気がするので,実はだいぶ細かいところは
忘れたのですが,おもしろかったので,ちょっとだけ紹介。
著者はなぜ西洋文明が現状のように成功したか?…と長年追っているそうです。
もちろん単に「産業革命起きたから」なんて締めてるわけじゃなく,
なぜそれが起きたか?が重要なわけです。また人種的に優れいている,
等ということも言いません。
興味深かったのは作者は中世(10世紀から14世紀あたり?)に起きた
数量化革命が結果的に西洋人が計算や論理的思考,測量,貨幣経済等という
ものを驚異的に吸収しその勢いで,産業革命まで突っ走った…という様な
論調で書いていることです。言われてみるまで気づきませんでしたが,
中世頃の西洋は世界の辺境で技術的に非常に遅れた地域だったようです。
知りませんでしたが,まずアラビア数字が使われてなかったので,
ローマ数字で記していたこと,これはやってみたらわかりますが,
四桁以上の数字はまともに書けません。従って計算も出来ません。
驚いた事に桁が多いローマ数字はある数値に対してユニークに表現できない
様です。また機械時計がなく時間を正確に把握できなかったそうです。
この辺は東洋も同じだったのかも知れませんが,機械時計が出来るまでは
昼が半日(12時間)夜が半日で,つまり季節により時間(というか鐘のなる間隔)
は変わっていたとのことです。また貨幣経済もしばらく
入ってこなかったそうですし,
測量もまともにするという感じではなかったとのこと。
明らかに古代ギリシャよりも技術レベルが低かった様です。
おもしろいのは例えば数値を均等なものとは考えなかったとか。縁起が悪い
数字を数えるときに使わないとか…。また,数値よりも
質にこだわっていた…ということとか,現在ではあまり考えにくい
感覚をもっていたようです。現在ちょっとしたぶりかえしが
来てる気もしますが…。
それで中世の辺りにアラビア数字,機械時計,貨幣経済等が
急激に広がったのでその勢いで,産業革命まで突っ走ったみたいですが,
そのキッカケについては,教会の権威が落ちたりとか…,書いてましたが,
ちょっとこの辺についてはしっくりとは理解できませんでした。
アリストテレスの著書が伝わった…という話もありましたが,どうりで
西洋はアリストテレスを重要視するのか…とかとも思いましたが…。
この本のおもしろい点は前半はそういうここの様子を取りあげ類推
してますが,後半は,それが具体的に社会に広まった様子を
知るために,音楽,絵画,建築,等をみていることです。概念の変化は
身の回りの事なので,なかなか記録に残らないのですが,その時代の音楽などを
みることにより考察してます。音楽でいうと,記譜法が作られたのも
この頃。それどころかハモルということが起きたのがこの頃のようです。
これも音楽を数値化して表現しようとした結果でしょう。絵では
遠近法で描かれるようになったりとか,そういう点でも概念の変化が
受け取れるようです。
正直いうと結構な量の本であり,また著者がアメリカ人のため,
もしかしたら西洋人にとっては常識的なことがかかれているのか,
わかりにくい部分が結構ありました。脚注とかつけて欲しいなぁ…と
いう感じで…。とはいえ,数量化革命が起きる以前の西洋の在り方など
結構今と違いすぎて興味深かったです。この手の本はもう少し読んで
みたいと思ってます。
- 天孫降臨の謎(関裕二)(04/02/03)
- 日本の古代の考察です。基本的には日本書紀,古事記を参考に
考察してます。
まぁこの手の本は結構読んでいるんですが,今回はちょっとおもしろい
意見だったので。
天孫降臨は作り話だと言われているが,わざわざ書かれているからには
何かしらの意図があったのだろう…というのが作者の立場。なぜ
わざわざ南九州に降臨して東征しなくてはいけなかったのか?…という
話です。
結論としては,著者は近畿に出来たヤマト政権が神功皇后の時代に
九州を攻め,そこの政権を討ち滅ぼしたのだろう…としてます。
この時九州で滅ぼされたのが卑弥呼の政権で,神功皇后は倭人伝に
出てくる卑弥呼の後継者のトヨであろうとしてます。
その根拠については本を読んで頂くにしても,結構この推理は
初耳だな…と思いました。ちなみに日本書紀は蘇我氏の功績を
揉み消すために書かれているので,その辺も考慮しないといけないと…。
おもしろかったのですが,この著者,元が作家のようで,
ノンフィクションとしては
非常に読みづらかったです。最後まで読まないと結論がわからない
作りになっているので(^^;)…。出来れば最初に仮説をたてて,それを
検証していく形で書いて欲しいな…と思ってしまいました…。
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