教育が教えている世界観

人は世界観をもたずして生きていけるのか?」,良くわからない。 しかし少なくとも現在の日本人はほとんど何かしらの世界観をもっていると 思われる。たぶんほとんどの人がもっているのではないか?。

世界観というと大げさだが,例えば,「今我々が立ってる場所は 地球で,地球は宇宙に浮かぶ星で,宇宙はビックバンで生まれて, そして人間は生物で,生物は地球上で自然発生して…」なんていうのも 立派な世界観だ。逆に公立の学校では教えない「世界は神様がつくって…」 何て言うのも世界観だ。後者は宗教と呼ばれるが, わたしは神は世界観を人格化したものと思っているので, 一緒だと思う。ということは逆をいうと前者のような世界観も 一種の宗教だといえるのである。

前者,(もしかしたら言葉の使い方を間違ってるかも知れないが) 唯物論である。唯物論は物をすべて物質という風にして とらえる。生き物やそれ以外のものも,物理法則や,化学反応 の結果として変化したり存在していると説明する。突き詰めて 考えると,人間もなんなる原子から出来た物質だし, 感情も,単に脳の中で起った化学変化という ことになってしまうのである。自分の感情や心はプログラムの 出力のようなものであり,極端な話,塩がみずに溶けるのと たいした違いはない

わたしは唯物論というのはそういうものだと理解している。 そしてそれを通常の学校で教えていることに対しては,かなり 疑問を感じている。なぜなら唯物論で考えると 思いやりもすべて特別のものではないからだ。こういう ことで人の命を大切に思う気持ちが生まれるのだろうか?。

しかし一方で日本の学校はこうも教える「人間は動物である」と。 ここでは動物は単なる物質とは違う命をもったものである。 しかも植物と違い,動き回ることができる。ここでは動物という 特別なものを持ち上げることにより命を特別なものに しようとしているかのようにとらえられる。しかしその命が なにものか?は説明できてない。もちろん,さらに 「人間は特別な生き物である」という考えもある。 ここでは人間の命や心を特別視することができる。

しかし,なんだかんだいっても,どう人間を特別視しても, 人間は原子で出来てるのだ。だとすると原料に特別な ものはない。では構造に特別なものがあるのか?。 そこまでは教育は教えていない。

どうも,この辺を良く考えてみると,最近の若い人が 命を大切にしないというのは当たり前な気がする。単なる 物質だからだ。生きがいを感じないというのも当たり前な 気がする。単なる化学変化だからだ。

こういう世界観をほとんどの学校で教えていていいのだろうか?。 おそらくその正当性というのは「それが真実だからだ」と 教育をする人は主張するだろう。しかしわたしは 正しいと証明できる世界観は存在しないと 思っている。単にそういうとうまく説明できるというだけである。

だとするとわざわざ人の命や心を軽んじる世界観を 教育する必要はないのではないだろうか?。わたしは世界観というのは もっとも自分の心が豊かになるストーリを選べばいいと 思っている。神がいると思った方が豊かになると思えば, それを選べば良い。死後の世界があると思った方が安心なら そう思えばいい。考えてみれば唯物的な世界観は 産業を発展させるには有効だったのだろう。であるなら, 我々は産業の豊かさと引き換えに心の豊かさを うしなったことになる

世界観を教えるという意味,それをもっと大人は 真摯に考える必要があるのではないだろうか?。

かって日本に初めて西洋人が来たときに,日本人は (西洋でいうところの)神を信じていないので,道徳心が あるはずない,と思われていたという話をきいたことがある。 この話を初めてきいたとき,「宗教なんてなくても道徳はある, 馬鹿にするな」と思ったが,結局全てを唯物的に解釈すると, 道徳は無くなる様な気がしてきた。我々日本人がもっていた 道徳というのは,西洋のようなわかりやすい宗教ではないが, 魂に感謝するという非常に曖昧だが,きちんと存在した ある種の宗教(=世界観)に基づいていたのではないだろうか?。

なお,最近,人間の行動を遺伝子にすりこまれた本能として 説明しようという動きがある。これは人間をある条件で できあがった動物としてとらえている考え方だ。 そして本能をプログラムとしてとらえている。 ここには心はない。そのうち道徳も 思いやりではなく,人間という動物が集団生活を するためのルールになるだろう。そこにおもいやりはない

どうして,そういう風になってしまったのか?。 すくなくとも今我々が教えられている世界観のストーリは あまりにもつまらなく危険だと思う。 「神を信じるなんて怪しい」と言われるかも知れない。 しかし,神を信じたほうがましとわたしは 思ったりもする。 実際は神ではなく魂とかの方を信じたほうが良いと おもってるのだが…。

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00 Oct. 18th


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