私は幻覚と言うか白日夢というか,そういうものを みたり感じたりすることがある。また明晰夢を みることもある。幻聴もよく聴く。
これらは,幻覚という風に言ってもいいが,一方で お告げ捕らえることもできる。自分の周りに 妖精がいて,それが見えてると考えることもできる。
可能性だけで言えば,結構いろいろ言うことができる。 大体超自然現象と呼ばれるものは,再現性はないが, 一方で完全に否定することもできない。従って論理的に 科学的に考えても,真実か?,嘘か?と言うことはどちらも立証 出来ないことになる。
日本人は科学信仰が非常に強いので,幻覚の類いを, 「脳の錯覚」と説明すると安心するのか?, 最近そういう傾向が強い気がする。昔は「妖怪」 とか「神様」と言えば納得していたのだが, どちらも信じている人は,自分で立証したわけではないので, 同じレベルだと言える。
で,わたしはというと,実はどっちでもいいと 思っている。もしくは,両方信じることにしている。 両方信じるのはそっちの方が楽しいからだ(笑)。
とはいえ,人とこういう話をするときは,なぜか, 現象を説明するといった議論になることが多い。 普通の人だと脳の錯覚というと納得するし,ちょっと 変わった人だと,がっかりする。 いずれにせよ,納得する人は,うまく説明できない 不思議な現象を,言葉で説明できる方法を提示することで 腑に落ちてるわけである。それは,未知のことを そう片付けることで安心しているのかも知れない。 しかし,こういう話をする人の全員が,そういう幻覚を みるような体験をしているわけではなく,人から 伝え聞いている現象を,わかりやすい言葉で説明され, 何となく安心しているわけである。
しかし,一方で,私はいかにそういう風に納得されようが, 自分の感覚を共感されているわけではないと いうことの方が気になる。私にしてみれば, 脳の幻覚であろうが,神の幻覚であろうが, 幻覚は已然として存在するし,そのときに感じる体感を すごく心地好く感じるときもあるし,恐ろしく感じることもあり, それは一つのちゃんとしたリアリティなのである。
そういう意味で言うと,こうやって言葉で書いている こと自体,無意味なのだが,ついこの間まで, 私自身,なんとか言葉で伝えようと思っていたのかも知れない。 先日,人に言葉で説明していて,フッと虚しさみたいな ものを感じた。現象を説明することはリアリティを 伝えることにはならない,と急に思ってしまった。 説明して納得してもらおうと,思っていたようだが, どういう理屈で幻覚をみていようがいまいが, そのときの感覚は明らかに感じられていて,それが 楽しいことには違いないのだ,と。
かといって,こうやって書くことを止めるつもりもないが(^^;)。