信じるということ

先日イヤというか怖い夢を見た。後から考えると 怖いというより苦笑してしまう内容である。内容は 秘密。

わたしは明晰夢を時々みることがある。明晰夢では 夢での出来事を「夢だ」と意識することが可能であるが, 今回は明晰夢ではなかった。夢の中では,他の人に 事実を告げられて「うそだろう?」と一瞬思ったが, その後考え込んで,「うーん,そういえばそうかもしれない」 と納得してしまった。実際後で起きて考えてみると過去の 記憶と照らし合わせてもあり得ないことであるが, 本当のことのように納得してしまった

夢の中ではどうして,あり得ないことを本当と信じるのだろう?。 本当に信じてしまう。「信じる」とはどういうことなのだろうか?。

単に過去の記憶に正常にアクセス出来ない状態なのか?。 いや,記憶違いだけではなく,論理的におかしいことも 信じてしまう。まるで,「信じる」という装置,それ自体が おかしくなってしまっているような気がする。疑わしい事実や 光景が夢の中で見えたときに,ふっと信じてしまうのである。 どこか脳の中に「信じる」という部分があるのではないか?, そしてそれが寝ているときに正常に働かないのではないか?, という気がする。

人はリアリティをもって物事を信じたりするが, そのリアリティを超えた…,リアリティがなくても信じる, つまりリアリティと信じる部分は別のところで,通常は うまくリンクしているが,夢の中などではそれが 正常ではなく,もしくは独立に動いているような気がする。

だとすれば,この「信じる」という部分を直接いじれば 何でも信じるのではないだろうか?。記憶や論理やリアリティは 単にここを刺激するために周辺にいるだけではないだろうか?。

洗脳はこの周辺のものと信じる部分とのつながりを弱くする 技術の様にも思う。 もしこれらがわかれているものであれば,信じるために, 信じさせるために記憶や論理やリアリティは不要になる。 ここを直接いじれる方法があればいいということになる。

案外それはその辺にあるような気もする。


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00 Aug. 2nd


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