質感

感覚の研究というのは,感覚をどんどん細分化していく 傾向がある。例えば聴覚にしても,人間は普段音を 漠然と聴いているが,実験においては,音色的要素が ほとんどない音で音量や音程の試験をしたり,音色も ほんのわずかな要素を変えて実験をしたりする。

こうやって,人間の感覚のある部分がわかってくるが, 実はこうやって細分化していくにつれて,かえって わかなくなるようなものもたくさんある。というのは 人間はこういう細かい要素を聞き分けるような試験をすると それに合わせて感覚が変わってしまうのである。 気分によって感じ方が変わるように,人間は 注意して感じる場合,漠然と感じる場合,他のことを しながら感じる場合など,それぞれ感じ方が変わる。 ある意味注意して感じる場合,感覚の機械としての 性能(どこまで感じられるか?等)はわかるが, どう感じているか?というのはわからないものである。

このような漠然とした感じ方というは「印象評価」とかの 手法で実験とかをする場合もあるが,この手の実験は 実に手がかかり,チャンとした結果が出にくいものである。 つまり個人差や環境などに大きく影響されるからである。

しかし実際に我々が感じているのはこういう感じである。 であるから,本来はこういう感覚をうまく整理しないと 人間の実感をうまく表せない気がする。わたしは元々 感覚の研究をやっていたため,感覚を細分化して 表現したり,感じようとする癖があった。最近は どうもそれじゃ駄目だなぁーと思って,もっと漠然とした視点を 保持したまま,どう感じているか?を考えるようにしている。 便宜上それを「質感」と呼ぶことが多い。質感をどう 整理していくかはとても難しいがトライしていきたい。 ある意味細分化された感覚(特に聴覚)の研究は 既にやり尽くされた気もするからだ。

ちょっと今回は小メモ程度の内容ですが(^^;)…。


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00 Sep. 26th


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