神様の作り方

はじめに

「神様の作り方」とタイトルを書いたが,「神様へのなり方」で もいい。作るというのは教祖になるってことです。

私の神様

さてちょっと過激なタイトルですが,私には自分の世界観があり, まぁそこに神様といえばいえるようなものもあるわけです。これは 一種信念の様なものだったりする場合もあるんですが,結局は一般 的な宗教でいわれるところの神というより,「超自然的及び精神的 な力を信じる」とか「自分にとって善なるものを行なうための力」 の様なもので,信仰したりする対象にはなりません。

世間でいう神様

以前某宗教団体が事件を起こした時,なんか宗教を集団的にかつ 熱狂的に信仰しているやつは怪しいだのという雰囲気がただよった り,また以前から文明と学問に毒された人が中途半端な唯物論を展 開したりして,私はなんとなく「そういうの嫌だなぁ。神様いた方 が楽しいのに」とか思ってました。

教祖とは?

某事件を起こした教祖さんや,他の新興宗教,キリスト,仏陀, マホメット,これらを一緒に論じると,各団体から猛烈な反発が来 そうで恐いんですが(^^;),以前,「彼らはなぜ教祖になれたか」 (まぁ仏陀は自分からなったような感じではないのですが)と考えた ことがあって,その時は, というのがあれば,教祖になれてしまうのでは?と思ったのです。

迷ってる人々苦しんでいる人々の疑問に答え(必ずしも救う必要は ない),そして奇跡をちょっと起こせば,後は芋づる的に信者が増 えるのでは?。キリスト教や仏教のようなもの凄い信者をもつ宗教 ですら,別に人々を現世では救ってくれない,「信じて義務を果た せば死んでからむくわれます」といってるだけではないのか? ただ打ち込むものを与えているだけの様な気がします。しかし「打 ち込むものがある」というのは心の安らぎを与えますから,そうい う意味で救っているのですが。

ですから後は「信じこませるもの」が必要,それが「ちょっとし た奇跡」かな?,と思っていたのです。

私の神様

とここまで書くと,私が非常にシニカルに神様を見ているようで すが,そんなことはありません。私だって神様がいます。でも考え てみたら,私の神様って一人しか救ってくれないのです(救うとも いえないか(笑))。自分の神様と一対一で向かいあってくれという ことで,「みんなを救いましょう」って感じではありません。これ だと宗教団体になり得ない。「こう考えるといいのでは?」とはい えても,それはある種自分を中心に考える考え方で,だれかを信仰 の対象にするのではないから,それを教えても自分は信仰されない (笑)。

その詳しい内容は今回は書きません。私の世界観とかを書いてる うちに段々明らかになるでしょう:-p。

自分の世界観が段々確立されてきて,自分の迷いが消えていった 頃から,半分マジ半分ふざけて,「俺も教祖になれるのではないか?」 と考えたりしたのだが,そういうことなので止めました。それやる と自分が自分の神様に嘘をついていることになるので,とてもでき ません。

仏陀

仏陀の考えた宗教(哲学?)も,これに近かったような気がします。 誰かが誰かを救うというより,自分で自分のことをきちんと信じて 正しく生きれば解脱できるよ,という感じではなかったのか?でも それだと,信仰してくれる人ができないので,弟子達が宗教用に改 造していったのでは?と思ってます。

それに対しキリスト教とかは最初から民衆が拠り所にするものを 用意していた様に思います。

超自然的な力

さてちょっと話を変えて,超自然的なものとは何なのか?。先日本 で,「昔はたべものが悪かったり,生活環境が苦しかったりしたの で,幻覚を良く見たのでは?」という話を読みました。現在の人が 妙に現実主義というか合理主義になったのは幻覚を見なくなったか らだ,ということです。なるほどそれで昔の人は信心深かったのか。 段々人々が妖精,精霊,もののけを見なくなったのは,そういうこ となのか,と思ったわけです。

昔の人はそういう幻覚におびえ,何かにすがろうとしていたのか も知れません。さて一方自己暗示や瞑想,また何かの薬剤を使った りして幻覚を見たり,不思議な力を感じたりすることができます。 私も音楽を聞いて瞑想したり,なんと表現していいのか,「自分の 感覚を解放する」といつもと違う不思議な感覚を感じたりします。

この辺の感覚を脳がつくり出している幻覚ととらえることも,超 自然的な神の力ととらえることも可能かと思うのですが,私はその どっちの立場も,そんなには相反さないものだと思ってます。その 辺について,切りがないので,は今後詳しく書きますが,従って幻 覚のせいと思っても神はいます:-)。

で,最近いきついた考えが

「過去に悟った人達は,その幻覚に自分から立ち向かい,そこ から何かを得た人なのでは?。そうすることにより,その幻覚の恐 怖から解放され,死後の世界,現世の苦しみからにたいしても,あ る回答をえたのでは?」
と思っております。

最後に

というわけで,いろいろ書いてきましたが,決して宗教を否定し たり,また反対に助長してるわけではないので,御理解下さい。私 自身の考えは私自身のパーソナルなもので,現状誰かに広めようと かは思ってません。

ですから,この考えを否定するのはいいのですが,へんな攻撃を しないで下さいね。しかし面白い視点や,別の意見は聞きたいので, なにかあれば,お待ちしております。

でも最後に一言だけ

人の作った神様を信じるより自分で作った方が楽しいよ。


('98/07/08)


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